ありふれた愛に関する記録・リピート・4
「なぁ、ザンザスってどこに行ったんかな?」
「さぁ、それは…わかりません、ボス」
「スクアーロだってザンザスと一緒にいるんだろ? なんでスクアーロもどこにいるのかわかんないのかな」
「ボス、ヴァリアーは表立って存在する組織ではないことは、」
「わかってるけどさー、…少しくらいは話に出ることくらい、あってもいいと思わねー?」
「話に出るような仕事してるわけじゃないことくらい、知ってるでしょう、…坊ちゃん」
「そうだけどさー…」

九代目の誕生日に催されるパーティで、キャバッローネのドンは一番近くに座ることができる。
にぎやかな宴の最中も、ふくらはぎに持病がある九代目は椅子に座り、そのすぐ近くに数年前に跡目を継いだばかりの金色の王子をはべらせて、権勢を人に見せつけることを忘れない。
こんなに若くて美しい人間を控えさせているのだと、誇示するためにそこにいることを望まれた若きドン・キャバッローネは、十分すぎるほどその役割を果たしていた。金の髪はふんわりキラキラ輝いて、見目のよい形に配置された目鼻はどんな顔をしても人目をひく表情を作る。
どこか子供っぽい顔立ちだから、壮年の男性には舐められることも多いが、会場の半分を占めるご婦人方にはたいそう評判がよい。女に評判がよく、男に敵意を抱かれない、というのはある意味、最高のカモフラージュになることを、この金色の王子――いや、本当は王か――は、甘い顔をしていながら、その実きちんと理解していた。それをただ嘆いているだけでなく、自分の力とすることも、ようやく覚えてきたばかり。
警戒心を抱かせない、という意味ではその甘いマスクは存分に戦果を発揮している。若さを侮られている間は、力を溜める余裕がある。
しかし会場を出れば一転して憂い顔、それもまた最近は少し、甘いマスクにいくばくかの味を加えることになってきて、このままいけばここ数年で、向かうところ敵なしの無敵のハンサムになるだろうと、男は思っている。
しかも甘い顔に似合わずというか、似合いすぎてて逆におかしいと思うというか、この青年は女子供に非常に甘い。
女であれば3歳の幼児から70過ぎの老婆まで、ドンに声をかけられて、浮き立たない女は一人もいなかった。それつまり、世界の半分を味方にしているということとイコールになる。すべての男は女の下僕か子供なのだ、女を味方につけられる男が一番強いのは、動物の世界でも人間の世界でも、結局は同じことになる。
そんな若きドン・キャバッローネが、ボンゴレのパーティで気にかける人間はその昔、跡目を継ぐことになったそのときから、ずっとずっと同じだった。
ドンについて長い側近は、もちろんいま、話に出てきた人物のこともよく知っていた。

一人はこのドンの幼馴染として、それこそ彼の人がその名を持ってから何度も、パーティや園遊会で何度も顔を合わせていた男。
向こうはおつきの人間の顔など覚えていなかったかもしれないが、ボンゴレ九代目の年を経てから得た養子の少年。
側近から見ても、その紅眼の少年は、彼のボスに引き比べると、圧倒的にその地位であることの重責を自覚していて、そのために懸命に努力していて、そのために生きることを自分に対して、時には息苦しくなるほど厳格に課すことを厭わなかった。傲慢で独善的で粗暴な振る舞いの噂ほどにはそう見えず、少年の行動がそう見えてしまう学生たちの、若さと幼さというものを、ようやく中年の域に入りつつある男は、かなり客観的に見ることが出来るようになっていた。

もう一人は、学生時代に一時期、ボスと同じ部屋になったこともある問題児。
休みの前に迎えにいけば何度も、ドンが彼と離れがたく別れを惜しんでいるのに遭遇したこともある。一度夏休みの短い期間、一週間ほどキャバッローネの別荘に連れて行ったことがあって、そこでは彼とドンと男と、あと数人の護衛と身の回りの世話をする人間と、村の子供と数人で時を過ごしたことがあった。本当はもっと長くいてほしいんだ、そう泣きそうな顔で(泣いていたのかもしれない)未来のドン・キャバッローネは切々と訴え掻き口説いたが、まだ今よりもいくぶん色味が薄かった銀の髪の子供は、この夏は武者修行するんだぜぇと外見に似合わない割れた大声で叫んで、キャバッローネのセキュリティを軽々とすり抜けて、出て行ってしまったこともあった。
男にとっては昔の話、金色の跳ね馬にとってはまだ生々しい学生時代の、苦いような甘いような思い出の中の少年の話だ。


ある年の秋になる前に銀の少年は、学校をやめて暗殺部隊に入ると言ったきり音信不通。
その後に赤い瞳の御曹司も学校をやめてしまってめっきり消息を聞かなくなった。
公式には海外の学校に寄宿しているとの話だったが、夏休みにもノエルにも、戻ってきた気配も噂もまったく聞かないのが不思議だった。
イタリア人として、キリスト教徒として、ノエルのパーティには出るはずだろうに、それもここ数年はない。
跳ね馬もその側近も、最初はそんなもんだろうと思っていた。
海外の事情は詳しくは知らないが、欧州内ではなく海の向こうでロンドン、もしくはアメリカまで行っているとしたら、そう簡単に帰ってくることは出来ないだろうと思っていたからだ。まさかアジアじゃないよな、でも九代目は非常に日本びいきだし、これからは中国に進出することも必要だからそこの、いやいやまさかそんな遠くへやってどうするの、そんなことを考えてみたらまぁ、ノエルの休みに戻ってこなくても当然かもしれないとは思っていた。
海外の学校の休暇事情は調べてもなかなかわからないし、学校によって全然違うだろう。
日本は至極短いという話だしなにより遠い。
アメリカは長いだろうがイタリアとは全然違うふうで過ごすらしいので、帰って来ないこともあるだろうな、とは思っていた。

しかしそれもこっちがハイスクールを卒業して二十歳を越えるまでの話で、さすがに数人いた候補の最後のひとり、唯一残った赤い瞳の御曹司のことを誰も言わなくなってから六年がたって、誰もその話をしないし出来ない、本部の側近はそんなことは話はしない、九代目は答えないのには、さすがに外野であるキャバッローネの金色の王も、その側近の男も、これはなにか、おかしいのではないのか、と思うようになった。一番近くにあるとしても外野であることは間違いないキャバッローネのトップには、それはボンゴレの内紛の詳細など、それこそ厳重に秘して、口にも出さないことだろう、とは思うけれども――しかし、それにしては――なにか。
九代目は高齢で、出来れば一日でも早く後継者を決めて、その権力を譲渡してしまわなければ、巨大なボンゴレの組織の行く末がどうなるのか、不安に感じる幹部も構成員も多いはずなのだ。だがしかしその話はいつからか、暗黙の了解で誰も自分から口には出さなくなった。それが意味する最悪の結果を、知らないほど男も、男の主人も初心な素人ではない。
だから結局跳ね馬は、側近の前でだけその話をする。

知らないかい、ザンザスはどこにいったのか、知らないかな、スクアーロはどこにいるのか? 
生きているのかな、死んだって話は俺のところには回ってこないんだろうな――そうなったら俺どうやってスクアーロのこと知ればいいんだろう?

そんなことを少しだけ目を伏せていうボスに、あんまり気にすることなんかありませんぜ、ひょっこり戻ってきますって、ボスがもっと大きくなって、ボンゴレの重要なシマをまかされるようになれば、そういうもっと大切なことをゆだねてもらえるんじゃありませんか? 
そんなことを言って慰めて、ハッパかけて煽りながら。

ブラジル移民の側近は、胸の内でボスに謝罪した。


彼はスクアーロとザンザスの行方のあらかた知っていた。
ボスは全然思いつかなかったようだが(なにしろ二人が行方不明になった直後は男のボス――若様の父――が死ぬの死なないので大モメにモメていた)、側近としてパーティに一緒に行くあいだに時々、会場の中に入れもらえず、別室で護衛だけが控えているときもあり、そんなときには他の護衛と、情報収集をかねた雑談に花を咲かせた。合間にトイレや気分転換の折に館の使用人にチップを握らせて情報を得る、などというのも彼の仕事のうちだった。
側近は外見がどう見てもガッチガチのマフィオーソだというのに、話し方がかなりべらんめぇで、しかも妙に甘くて優しい声だったので、人に警戒心を与えにくい男だった。それを十分活用して、彼はザンザスが消息不明になってすぐに、館の使用人や側近の護衛から話を聞きだしていた。
実際何が起こったのかを正確に知っている人間はほとんどおらず(あとで関係した人間のほとんどが殺されたということを知った)、とにかくザンザスは国外に出ているわけではないこと、スクアーロはヴァリアーに依然として在籍していること、「ゆりかご」と呼ばれる何かがあったこと、ヴァリアーは今も、活動しているらしいということを知っていた。
だが彼は側近としての判断でそれをボスに進言することをやめた。
言ってもしょうがないことであったし、聞いたら邪魔なことでもあったからだ。

ボンゴレの本部の様子を探っていたことを知られるのはあまりいいことではない。
側近が動いただけならそれは、ボスのための情棒収集で済むが(実際キャバッローネはドンの父の死で一時期非常に傾きかけていて、そこを狙われていたことがあった)、ボスがその件についてボンゴレの、しかも九代目に聞くことになれば、あきらかな内政干渉になってしまう。
しかも跡目をめぐる話に口を出すことは、いくら九代目がドンの名付け親でも、それは明らかに越権行為になる。
彼のご執心な相手は果たしてどちらなのか、同室の銀の同級生に多く傾いているだろうが、それだけではないだろうということも、長年ボスのことを傍らで見ていた側近は気がついていた。
男は強いものが好きだ、そしてそれに憧れ、同じものになりたいと思い、戦い、競い、努力する。それこそが男の存在価値で意味で現実だ。戦わなければ男の本能は錆びてしまう。九代目の養子の少年は、ボスの弱みを刺激し、ボスの利点を隠す。だがそれはボスには必要な目標で影で扉で、精神的な父殺しをする前に肉体的に父を失った彼の、仮想の父になってもらうのも悪くない、と側近は思っていた。
自分はそれにはなれない、出来るとしたら乳離れのほうだ――ということを、自覚していたのかいないのか。








最初側近はそれがあの少年だったと気がつかなかった。
異国の町のショッピングモールの中、爆発の音を聞きつけて走るボスと一緒に走って見つけた、その黒い影。
顔から下が真っ黒で、顔から上が真っ白な、細くて長くてバネのようで、大きな声で怒鳴っていた。戦いをひとつ、終えて少し、こちらの世界に足を踏み入れたばかりの少年たちへ、それこそ『格の違い』を見せ付ける、華麗な動きに目が追いつかないほど。
ボスは気がついた、それこそ声を聞いただけで一瞬で。名を呼んだ、戦いの最中に名を呼んだ。懐かしい名前、何度も側近に語りかけた名前を呼んだ、その男に、針のような手足、細くて長い体、しなやかな動物のような視線、左手にひらめく刃は光り輝いてギラギラと反射していて、威嚇と警告を叫ぶ声は言われれば確かに、あの少年のものだった――かもしれないが。

右に左に動く体が止まったときに遅れて一瞬、間をおいてしなやかな背中についてくる、腰を覆うほどの長い、長い銀の髪は。
そうして笑う口元は、あのころよりもずっと、そして彼等のボスよりもずっと、闇と恫喝と殺意を知っている人間のもので、側近にもそんな笑い方をする人間には覚えがあった。
ぞくりと背中が震える、この男はハンパな強さではないことがわかる。
彼らのボスもそれほど弱い男ではないが、一対一で戦えば、どちらが勝つかわからない――かもしれない。
そのあたりはボスも瞬時に理解した、彼を威嚇するだけで終わった。引き際も鮮やかなその男は、ひらりと体をかわして立ち去った。それすらも見事で、側近は敵ながらその判断力に感心した。
爆風が去ればもう姿はない。地面に倒れている子供たちを回収して、ボスを見返せばそれはもう、なんというか非常に、どういう顔なのか表現しにくい微妙な、それこそもう――恋に愁う学生のような瞳で、かの人が立ち去った後を一瞬だけ、見つめていたものだったが。
振り向いて笑った顔には、そんな憂いはもう、どこにも残っていなかった。

ボスの忘れていた思い出が蘇る。
八年前の亡霊が闇夜から戻ってくる。
それは銀色の影になって、かつての想像よりをはるかに越えた強さになって戻ってきた。
ありえないほどの銀色の輝きになって、獣のような瞳を持って戻ってきた、おそろしいほど鮮やかに。
男は一抹の不安を感じていた、それは予感だったのかもしれなかった。
八年の不在が何を示すのか、おぼろげに知っていたからかもしれない。















「包帯を替えさせてもらうぜ」

そう言って部屋に入る。ドアの外には見張りが一人、大きな音を立てればすぐにやってくる。男は会釈して入る、護衛はきちんと挨拶。
おそろしいほどの回復力だった。手術で縫った体の傷はいくつもあって、失血で輸血もして、リンゲルをガンガン突っ込んでも目が覚めず、そして目を覚まして現状を理解したら暴れることもなく静かにただ眠る。まさに野生動物のよう、ひと時の休息に目いっぱい体を休めて傷を治すために、ただひたすら眠る、眠る、眠るだけの薄い銀色の墓標。
一日のうちはほとんど眠っていた。看護士が体中をぐるぐると巻いて傷を固定した包帯を交換するのにも護衛は三人、男もそれに付き合った。眠り薬を少し入れた輸液で銀色の青年は半分ほど意識がないようだったが、しかしその実はきちんと起きていて、最低限の部分を動かすことも出来るだろうことは男にはわかっていた。看護士が傷を保護するテープを替えるために体を動かすのにきちんと反応していたのを見た、指先はちゃんと曲がって何かを探すように動いてすぐに止まった。

夜にガーゼをかえるのは側近の男がやった。
銀色の青年は男の問い掛けに答えず、ただじっと黙って目を閉じていた。
酸素吸入は一日で外れ、昼間はなるべくつけているほうがいいと言われたのでつけていたが、夜になったらはずしてしまった。おおく酸素を体に送り込むことで、怪我の治りを早くしていたのだった。だから口元は夜はフリーになっていたが、上を向いたままで動けない姿勢だと喉が乾くのか唇が痛むのか、時折男は焦れたように唇をぐるりと舐めるしぐさをすることがあった。……男は、そのしぐさがぞっとするほど色を持っていることに気がついて、先ほどとは別の意味でぞっとした。
ぞっとしたので、ガーゼを替える作業を、ボスがいない時間を見計らって行った。

側近の男のボスは現在の状況の連絡を受けるため、病院から出て中学校の近くで構成員と会っている。

青年をボスに合わせてはいけない、と側近は思った。
護衛は部屋に入ってこなかった。しかし外には一人増えた気配がある。男はゆっくりと上にかけていた布団をめくった。
青年は両手首と両足首をそれぞれにベッドの柵に包帯で拘束されていた。直接あたらないように一度タオルを巻いてその上をゆるく縛っている。
健康な状態であればこんなものは拘束にも何にもならなかったが、ほぼ満身創痍で体を起こすことにも難儀するこの状態では、非常に辛く、苦しい体制であるだろうことは想像できた。心電図モニターのコード、脈拍を測るモニターのコード、点滴を毎日入れるのでそのために腕にささっている輸液管、ずれた骨を固定するために渡されたバンド、導尿官まで入っている青年の体はいろいろなチューブだらけだった。
布団の下は全裸の上に、病院で支給されるガウンを、シルエットを隠すようにかぶせてあるだけ。それをゆっくりと引き剥がすと、その下からミイラ男もかくやといわんばかりの、包帯とテープとガーゼで覆われた体が現れた。
中央には斜めに入った傷跡を、固定するための大きな鎧のような器具が肩からかぶせられていて、左手も固定されてまっすぐにしか動かせず、足首も包帯とバンドでぐるぐるに巻かれていた。それ以外にもそれこそ、小さい傷は消毒しただけで放置したままにしているほど、体中に傷がある。白い肌の上にまかれている包帯はその色に溶け込んでいて、しかしその中に明らかにそれと違う、赤や青にうっ血した打撲痕があるのが、いっそうその体を痛々しく見せていた。
男は交換できる部分の包帯やあてたガーゼを交換しながら、寒くないかと聞いた。
青年は消えそうな声でそんなことはないといい、男の名前を呼んだ。

「…おまえの質問には答えられない。許可が、出てない」
わかっていたかのように細く、長いため息。
その間にも手を上げてもらい、足を曲げてもらい、いっぺんに全部拘束をはずすことは出来ないので右半身だけ、左半身だけと分けて包帯を交換して、体重がかからないように注意して体を浮かせて背中に手を入れたそのときに。
肩にタオルを差し込んで位置を替えて――その折に、見えた銀色の男の白くて薄くてしなやかな背中の、それが腰と交わる部分、本来は下着で隠して人目から隠しておくべきの、薄くて小ぶりできりりと引き締まった臀部との境に、―――見事なまでにくっきりと、きれいな並びの歯型が浮かんでいるのを、見てしまった。

ああやっぱりと男は思った。無意識だろうがこの青年、媚びを媚びとして使うにはまだまだ無自覚で荒削り。しかし確実にその唇に、その肌に、その身の内に、体の上に、自分を愛する相手を迎え入れた経験のある動きを『する』。
その行為の痕跡を見つけて、男はひどく納得した。確かに昔はただの声の大きな子供だったというのに、今はいったいどうだろう、この体つき、この容貌、加えて何故こんなに長く、のばしているのか銀の髪。手術は頭には及ばなかったので別に切ることはなかったのでそのまま、確かに少し毛先は血で汚れて切ったのだろうが、それでもまだ男にしてはずいぶん長い銀色の、髪がさらさらとベッドの上で流れて流れを作って留まる。
それをあの傲慢な王者の指がつかんで愛でるのは至極当然のことのようで、逆にこんなのが傍にいたら、いろいろな意味も含めて一度や二度は体を自由にするだろうと男には思われた――王の地位にあるのなら、それを『しない』という選択は、ない、だろう。
それは主人が出来る当然の権利なのだから、味を見ないという選択もあるだろうが、あの赤目の王がそれを選ぶとは思えない。
包帯を替え終わってもう一度、ほどいた包帯で手首を縛る。まだ少し触れた肌が熱い。熱は治まったようだが微熱程度はあるのだろう。怪我を治そうと懸命に体中の細胞が活動している証拠だ。
もう一度、青年は細い声で男に質問。今度は男が答えられる範囲の内容で、男はそれに軽く答える。
青年はひとこと、懐かしい昔の呼び名で男のあるじを呼んで、そうしてそっと、目を閉じた。

抵抗して逃げてもなんの役にもたたないことを知っているのか、まだ余裕がある、と思っているのか。
争奪戦の重要な機密を知っているのは、おそらく当事者であるあの御曹司以外は彼しかいないだろう。
彼はなぜ今このタイミングであの男がここにやってきて、そしてあの血塗られた忌まわしい指輪を得ようとしているのか、その意味を知っているに違いなかった。同じような理由で、八年前――彼が、彼の主がともに『消えた』事件の真実を、九代目と御曹司以外で唯一知っているだろう人間は彼だけだろうと思われた。
「あいつに本当のことを話させる」
そんなことを真摯な目で語っていたボスの、その言い分に嘘はないと男は思っているが――そこにあるだけが真実だとも思っていなかった。
亡くした恋が初恋であるとわかればわかるほど、男はそれを惜しむものなのだ。






声を聞いた。

青年はかの人の名を呼んだ。それこそ世界に意味のある言葉はただそれだけ、本当にただそれひとつしかないのだとでもいうように、その名を――それを持っている本人はかえって、忌まわしいとすら思っているのではないかと男が知ってしまったその名を呼んだ。
声は響いた。マイクが音を拾った。満身創痍であるはずの青年の声は、こんなときでもはっきりしていて、その傷が全身に及んでいることなど、誰も気がつかないのではないのではないかと思われた。
男は事態の流れの速さについてゆけず、一時拘束された自分の主人を心配していたが、それはすぐに思わぬところからの助力で解決してしまった。何故そんなことになったのかはわからないが、ともかくも全ては終わった。男にあったのは安堵だけだったが、ボスの中にあったのは少し、違うものであったように思われた。
男のボスと青年は呪いの言葉を吐いていた。
自分たちがかつて大人の手で、この闇夜に引きずり込まれたことを知る大人になったことを、確認するかのように短く、お互いの罪を確認しあっていた。自分たちが彼らを、何をも知らぬ若人を、この闇夜に叩き落した人間になる――いや、『なった』のだと――互いに、確認しあうように呟いたのを聞いた。
後悔する日がくると子供等に告げた二人の中に、後悔した日があったのかどうか、それを男は問うてみたいような気が、していた。









青年と青年のボスとの体面に男のボスは付き合うことは出来なかった。
話の内容がどうこう、という意味ではなくて、純粋に危険だったからだった。
たとえ手負いとはいえ、ともにもっとも優秀な二人の暗殺者のいる部屋に、大切なボスを入れるわけにはいかなかった。身動きが取れなくとも、息の根を止めるのは一瞬で事足りる。一人なら護衛と見張りで防ぐ自信はあったが、二人となればその自信はなかった。
なかったので、ボスがどれほどそれを聞く権利、そこにいる権利があると言い張っても、断固として男はそれを断った。ボスは粘ったが、男の言うことももっともだったので、最後はやむなく諦めたようだった。
どうしても青年は自分の主の無事を確かめたくて仕方ないようだった。自分だって、あの最後の戦いの後は、痛み止めが切れて傷が開き、青年の主よりも重傷に戻って病院に突っ込まれ、青年の主人よりも病みついて、意識不明になったというのに――意識が戻って最初に、自分のボスの安否を確認したところは、あまりにすさまじい忠誠に、男ですら一瞬、感動を覚えてしまったものだった。
忠誠と一言で片付けるにはあまりにも、それはそうあまりにも、一途で強くて純粋すぎて、男にはまぶしくてまぶし過ぎて、目を開けて見ることが出来ないほどだったというのに。

二人の対面はひどく静かで、一方的に青年がボスに語りかけているだけだった。何もかもが手に入れることができないと知ってしまっていた青年の主であることの若きボスは、青年の言葉に何も返さず、青年の声に何も返さなかった。
青年の声はずっと彼の主を求めていた。ただそれだけだった。
それだけ。本当に、それだけだった。
体の動きが困難になるほどの傷がないことを確認して、あからさまに安堵した顔を見せた青年の、そんな表情を見たのは再会してから初めてだった。そこに男はかつての少年の面影を垣間見た。
そう、確かにその昔、青年はそんな顔で笑っていたことがあった。
かつては――かつては。

ふいに声が割れた。
割れることのない声がふっと割れた。
はっと気がつく間もなく、包帯の巻かれた手がその銀の髪に伸びてきた。
言葉の先を紡げずに、うつむいてしまった青年の顎に、包帯の巻かれた手が伸びて、強くその骨を掴んだ。
ガーゼのあてられた先が痛むのか、小さく肩が震えた。
それを渾身の力で青年が押さえ込んだ――ようだった。

「…スクアーロ」

敗者のボスの声は静かだった。
とても静かな、年老いた老人よりも遠い、枯れた声をしていた。
その声で名を呼んだ。

違和感に男が気がついたのは少したってからだった。
ボスは青年の名を呼んだことがなかった。
青年の顔を見て名を呼んだところを、男ははじめて聞いた、と思った。

「う…」

小さな声だった。小さな、押さえ切れない声だった。
ボスはその声を塞ごうと、口をその包帯に巻かれた手で塞いだ。
数回その肩が上下した。青年が顔を伏せて、背を丸めた。
青年の主が、その背中に手を回した。
そのまま伏せた頭の上に、自分の頭を乗せた。
青年はどんどん小さく背を丸めて、しまいにはボスの膝に顔をつけてしまった。指先がボスの膝の服地を掴んでいるのが見えた。
丸くなった青年の背中に、紅い瞳の暴虐の王は同じように体を伏せた。
暴れようとする体を押さえ込んでいるようにも、崩れそうな体を確かめているようにも思えた。
小さい声で何か言っていた。逃げる算段をつけているかもしれないと、少しばかり緊張が増した。

「……んだよぉ、………ッ……!」
「――、………じゃねぇか……」

「卑怯だぁ…、……たっ、………っあ、………」

細い細い、嗚咽が聞こえて、どうにも男はやりきれなかった。紅い瞳の王が視線を向けた。
男は一緒にいた部下の肩を叩き、部屋から出した。戸のすぐ外に控える気配。
そうしてから男は二人に背を向けた。せめてもの恩情、のつもり。
次にいつ会えるのかわからない、まだ処分は決まっていない。
とにかく青年が何度も何度も、確かめさせてくれというのに、男のボスが負けたのだ。
二人だけにすることは出来ないのはわかっているのか、紅い瞳の暴虐の王は銀の副官の耳に何かを囁く。
必死で抵抗する背中を押さえ込む。暴れる声を小さい言葉で抑えた。
王は寵臣を自在に操る。その心さえも。
嗚咽は完全に耳に入るほどになった。それでも堪えようとして、荒い呼吸が何度も吐き出される。苦しそうな呼吸。
吐き出さなければ息も出来ないほどの強さで、その背中からきしむ音がした。

「連れて行け」

静かになったら王の声がした。男が振り向くと、二人は姿勢を変えていて、紅い瞳の王は、意識を失った副官を、その腕に抱いていた。真っ青な顔で目を閉じる副官は、やはりまだ無理だったのか――それとも王に会えたことに安堵したのか、完全に目を閉じて眠っていた。
男は外にいる部下に命令してストレッチャーをもってこさせる。持ってくるまでの間、王はいとおしそうにその副官を腕に抱き、その長い銀の髪を、指で何度もたぐっては梳いていた。
王からその体を引き剥がすとき、男は自分が悪い魔法使いにでもなったような気がした。








「はつこいって実らないもんなのかなー」

そんなことを言う男のドン・キャバッローネは、思案顔だが困っている顔ではない。しかたないな、とでもいうような顔。
確かに仕方ない。これは男のボスがどうにかできることではない。だから『しかたない』のだ。
そういう男のボスは、ほんの少し、いい男の顔になった、と思う。失恋と挫折が男を磨くことを、男は知っている。

「そうですねぇ、……大抵は、みな途中で諦めてしまうんじゃないんですかね」
「そういうもんだろうなぁ…あーあ」
背中で組んでいた手を離して、ぐっと大きく伸びをした。まっすぐに伸ばした左手に、浮かぶ刺青が少し濃くなっているような気がした。

「結局俺は失恋したことになるのかな?」

そんなことを言う甘い目元は、元からの甘さにさらに磨きがかかってしまって、それこそ垂涎ものの可愛らしさ。

「なるんじゃねぇんですかね。あれが初恋というならば、ですが」
「初恋じゃねーのかなー? 俺、あんなに必死になって自分に相手の関心向けようとしたの、初めてだもん」
「そうですねぇ、坊ちゃんはそれこそ、大抵の人には『向こうから』興味を持ってもらえましたからねぇ」
「だよなー。だからだったのかもなー……」

見送りに来た空港の、VIP用待合室から、飛び去ってゆく飛行機の姿を見送って、男のボスはため息をついた。
特別機を手配して、最後の捕囚が日本から立ち去ったのを名残惜しげに見送った。
命をとられることはないとの確約は取ったが、これから彼も少し遅れて日本を発つ。
弟子にしばしの別れを告げて、そうして母国で再会するころには、彼等もずっと、元気になっているといい。
そのときには自分も、処分を下す九代目と、門外顧問にねじ込めるだけの材料をそろえてそこに、立つつもりだ。

そのつもりでたぶん、九代目は自分をここに寄越したのではないのかと、最近になってドン・キャバッローネは思うようになった。
日本に向かうだろうことは予想していたはずだった。まさかあそこでスクアーロを救うことになるとは、思ってなどはいなかったとは思うが。

結局のところ、ザンザスを生かすために、スクアーロを殺すわけにはいかないのだ。

スクアーロがいなければそもそも『ゆりかご』は起こらなかったかもしれないが、しかしスクアーロがいなければ、ザンザスを抑えることが出来る人間はこの世には存在しなくなるだろう。九代目は憤怒の炎を受けるには、いかんせん年を取りすぎている。もっと若くて元気で、ザンザスを受け止めることが出来る存在がなくてはならなかった。
そんなものなどいらないだろう、もう大人なんだから、という声があることもドン・キャバッローネは知っていたが、それに真実がないことも知っていた。ザンザスには八年がないのだ。その事実はいまだに、あの場所にいた人間だけが知る、秘密なのだ。だからこそ、それを食い止めなくてはならなかった。
ドン・キャバッローネは、自分の思い出を守りたいと思ったのだ。かなりの部分はただの感傷だ。幾分かの打算も、計算も、欲望もある。付け入る隙だって十二分にある。そこを狙うのはやぶさかではないが、それよりも今は、恩を売っておきたかった。そのほうが長く、関係を引きずることが出来る。着せられることはおそらくあの、紅い瞳の王には苦痛な記憶だろうとは思うが。

「俺やっぱり友達作るの苦手かも」
「苦手というほど友達なんかいましたか、坊ちゃん」
「そういやそうだわ」

そう言って男のボスは笑う。それが本当は、ひどく悲しいことだと男は知っている。学生時代の友情だけが、掛け値なしの本物だと人は言うが、それが本物なのは仕事にかかわらないからだ。仕事にかかわれば友情は変質する。損得のない友情など、実際にはありえない。ないように見えても必ず、そこには感情のやり取りという損得が生じるからだ。どちらにとっても。
そう思えば、かつてのかの銀髪の剣士との短い夏に、なにがしかの損得があったのだろうか――と男は思った。
男のボスは未来への勇気を貰ったが、はたして彼には? 
あの少年は昔から、一人で飛んで一人で走って、一人でどこへでも行けた子供だった。
――ああ、だからなのか。

「今も俺をへなちょこ呼ばわりできるのはあいつらだけだもんなー……。やっぱいなくなったら困るな」
「そうですね。坊ちゃんに喝を入れてくれそうなのは、リボーンとあいつらしかいなさそうですし」
「リボーンはなぁ…俺は一生無理だと思うけどさ、ザンザスは…少しでも、追いつきたいとは思うな」
「いいライバルがいると、人生は倍楽しいですぜ」
「倍苦しみそうだけどな」
「自分が納得できる苦しみのほうが自分のためになるでしょう。それに苦しみのない人生なんかありませんぜ」
「それもそうだな――……。失恋もそのひとつ、か」
「いい男になりましたぜ」
「そう言ってもらうと助かる」

ボスはそう言って笑う。本当に、うっとりするような見事な男振り。今もVIP用の待合室で、部屋の中の人間がみな、ボスをちらちら気にしているのをいやというほど男は感じている。人の視線に慣れている男のボスは、そんなものを歯牙にもかけず、自然に立ち居振舞っているけれども。

「帰るか」
「はい」

近いうちに会う、あの紅目の王と銀の腹臣の姿が、ほんのすこし、変わっているといいと、そんなことを男は思った。
そうでなくっちゃ、ボスが失恋した甲斐がないってことでしょう。ボスの男振りを上げた初恋の失恋、そのぶんは変わってもらわなければ、どうにも部下としては、やりきれませんからね。


空は晴れていていい天気だ。
抜けるような秋の空が、どこまでも高く続いている。
2009.4.17
今年の頭からずっと弄繰り回していた話がやっと終わりました…。
あと1話です。

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