ありふれた愛に関する記録・リピート・3
男は逆光に目を細くした。
闇が押し寄せてくる夕暮れの赤い光の中、それよりももっと赤い、赤い光を見た。
その中にすっくと立っている、闇の衣をまとう男たちを見た。
夜よりも濃い闇の色を身に纏った男たち、その先頭に立って叫んでいる白銀の青年を見た。彼の背後でたたずんでいる、闇夜の紅眼の青年を見た。緑色の髪の倒錯者を見た。強欲の赤ん坊と狂血の王子を見た。雷呼の勤者を見た。小山のような影を見た。
白銀の剣が夕日を反射したのを見た。

前に青年を見たのはいつだったのか、男はしばらく考える。口を動かし、話をしながら考える。あの時も同じような立場だった、同じようなことを彼に告げた――いや、そんなことはなかった。あのときはまだ少年だった。子どもだった。細くて小さくて青くて若かった。強くて弱くて未熟だった、まだたいへん若かった。その後で見たことは数回、八年の間で数回だけ。それもほんのわずか、ちらりと後姿を見るか、視線を瞬時、交わらせる程度。
少年の瞳はいつも膿んでいて、沈んでいて、濁っていて、男と、男の主人を見るそのときだけ、青白く、鉄をも溶かす炎のごとくに燃えさかって、肌を焼くほどの憎しみを、直裁にぶつけてくることを隠しもしなかった。
だから久しぶり、本当に久しぶりに見た少年が、もうすっかり手足の作られた青年の姿になって、変声期の始まったばかりの高い声ではなく、わざとつぶしたような低い声で叫ぶようになったのに、一瞬誰なのかわからなくなってしまった。


―――いや、わかっていたのだ。
男は何よりもそれをわかっていた。


少年の瞳はもう、青白い憎しみの炎になど彩られてはいなかった。かつてその目にあった、未来へのキラキラした憧憬や尊敬の念は、八年の間に深く、深く、深く静かに練成され、時間という残酷な摂理によって、じっくりと別のものに熟成されていた。
八年の眠りを終わらせた彼の主のもとで、その感情は濾しとられ、精製され、いっそう純度の高いなにものかになっていた。
それを余人は欲望というかのもしれず、尊敬というかのもしれず、崇拝とも、畏怖とも、忠誠とも、愛情ともいうのかもしれず、またそれらすべてだというかもしれなかった。そのようなもの、それらすべてのようなもの、そしてそれ以上のなにか、悲しみ、憎しみ、渇望、絶望、そんなものすらもすべて使って練り上げた、甘く苦く重く固いなにか、そんななにかが青年の全身を覆っていた。
青年はかつて男が見たいつの、どんなときよりも、そのときがもっとも輝いていた。
明けの明星のごとく白く光り輝き、大声で子供たちを威嚇し、恫喝した。
そんなことに慣れているはずの男ですらも、その第一声には鳥肌がたつのをこらえ切れなかった。背に力を入れていなければ、殺気でよろめきそうだった。隣で男を伺う部下の少年の全幅の信頼の視線は、ほんの少しの力にしかならなかった。住宅地のはずれの崖の上と下、ちょうど切り通しのような斜面で彼等を見上げる自分の息子とその仲間たちを守るために、今ここで出ていかなければならなかった。
男は一歩前に踏み出した。青年と、その仲間たちがいっせいに振り向いた。さすがにその筋の人間なだけあって、足音をたてた男の姿や位置を、彼等は誰一人過たずに視線を向けた。気にしなかったのは、背後に立っていた彼等のあるじ、赤い瞳の御曹司だけだ。
八年前に彼は永訣の氷の中に封じられたのだ。
それを知っているのはそれを為した九代目である男のあるじと、男自身と、そして本人と、今、その隣に意気揚々と立つ銀の副官だけだった。副官は相変わらずそこに立っていた。それこそ全身に喜びをたたえて、ぴんぴんと跳ねたイキのいい銀鱗の魚のように、同じ色の髪は夕焼けの光に光り輝いて、灰青の瞳はギラギラと燃えさかっていた。
男は赤い瞳の闇の王の冷えた、そして怒りに燃えた殺気を感じながら、その副官の変わりようから意識をそらすことができなかった。

男は声を張り上げた。
宣言を――彼らの長年の澱を払う作業を、少年たちを闇の底に沈める作業を、男の息子を血溜りの中で、血脈の罪過をあがなわせる作業の開始を宣言した。そうなる日を男は知っていたのに、そうなるべく動いてきたのに、胸にあるのは純粋な喜びではなかった。この日を、この時を、それこそ何年も前から告げられていて、そうなることを待っていたのに、そうなるようにと動いてきたのに、胸にあるのは野望や欲望が達成するときに感じる、胸の高揚ではなかった。そんなものでは到底なかった。

「ボンゴレリング争奪戦を開始する」








それは新星の光だった。

そこは暗い一室、罪人が刑を宣言される部屋、豪華な模様の絨毯には血がしみこんで、洗っても洗っても消えない鉄錆の匂いのする部屋だった。床の豪華な模様は罪人への威嚇の意味も含めて、異国の神とその怒りに触れて滅ぼされる町、しかし町の模様は血で汚され、すでに定かではない。
床についた膝も細い、後ろ手に男たちに拘束された腕も細い。薄い背中、細い体、折れそうな足腰、毛先が焼けて跳ねた銀色の髪だけが薄明かりの中で光る。罪びとのはずの少年の輝きが、この部屋の中の唯一の光のようにまばゆい。
その光に目を射られてしまったのは若さか、それをまぶしいと思いながら、男は確かにそれを侮っていた。
まだ若い、まだ幼いと思っていた。他に道を見つけられなかったあの少年と違って、彼はそれよりもまだ若い。早ければ進路はいくらでも修正が効く、今からでも遅くはないと男は思っていた。今ならまだ間に合う、この光をもっとふさわしい場所で使えるだろうと思っていた。力はある、力を増そうとする力もある。努力も勉強も怠らない、あとは経験だけが足りない。それを積めばそれこそ彼が、左手を失ってまで屠った剣帝の名を継ぐのも遠くない、そう男は思っていた。
惜しいと思っていたのは確か、もったいないと思っていたのは確か。少年が肩をいからせて、顔を上げて男と男の主人を見るまでは。

「ゆるさねぇ」

それは宣言、闇夜を切り裂く星の宣言。それはくつがえされない、コンパスが指差す先をすでに見つけてしまった子供はそれを見失うことをしない。目がいい、姿勢がいい、怪我をしたわき腹の傷はたちまちに癒えた。折れなかった剣はすぐに磨き上げられた、王者の椅子を守るために舞い戻った。刃の持ち主をすげ替えようとした男と老人の手は届かなかった。少年の足は速く、誰もそれを捕まえることができなかった。光があまりに強くて青くて温度が高かった。

それは月よりも星の光、道を知るための基準の光。そこにあることを望んでいなかったけれど、地にたつひとにとっては証の星、極北の青く冷たい明るい星。自ら光る青い星、若くて強い銀の光。





それよりももっと強い光を男はそこに見た。長い長い闇夜の向こう、曇りの夜空のかなたでも、それは常に光り続け、輝き続け、常に青く輝いて光っていたことを、男は眼前に突きつけられた。
かつての自分の見聞の過ちを初めてそこで知った。彼のあやまち、彼の主のあやまち、彼等の、年月に磨耗した魂が犯したあやまちを知った。侮っていたことを知った、少年を――いや、未来を侮っていたことを知った。
少年は忘れることをしなかった、変わることをしなかった。少年は待つことを選んだ、主を迎える玉座をけして見捨てなかった。あるじの席を守ることを忘れなかった。彼が選び取った運命を信じていた。自分の思いを誰よりも信じていた。少年の時間のすべてをそのために捧げることをよしとした。そんなことが出来ないと思っていた大人の、老人の願いを軽く凌駕した。男は老人よりもずっと若かったので、若い時代の貴重さをまだ実感として知っていたが―――知っていたからこそ、その時間を捧げたことの意味をわかっていた。
視線はまるで抜き身の刃を喉元に突きつけられたようだった。おそらく何年も何年も、少年はそうやって、その刃を自分に向けてきたのだろう、そう男は思い知った。少年の、今は青年になった彼の横顔と、なんら感情を動かさない闇の王の、手加減をまったくしない殺意というものの鋭さと重さに背中がぐっしょりと重くなった。
彼等が背を向けるまで、全身が固くなっていた。
ああ、こんなに緊張しては危ない――そう、思っても。







憎まれている自覚はあった、いくら男がにぶいふうを装っていてもそれはわかった。それほど少年は男を嫌っていた。
当然だろう、男は何度も少年の願いを握りつぶして無視した前歴がある。二人の少年の暴走を引き止めずにほほえましく見守っていながら、しかし最後は少年を裏切ったのだ。

少年は裏切りをゆるさない。
それが少年というものだ。

「これがおまえたちの犯した罪だ」
「罪? 冗談じゃねぇっ、誰が罪なんか犯すもんか! 罪をどうこういうなら、一番残酷なのはアンタだろぉ! あの老いぼれだ! ――は、何も悪くねぇ…っ! あたりまえのことを、したまでだぁ!」

壊れたガラスのような瞳が割れて濡れて、そうして床に透明な雪を降らして散らして、次に見上げたそのときに、そこには刃の輝きだけが残っていた。男をのどぶえを切り裂かんばかりに向けられた瞳と言葉の刃の傷は薄く、浅かったが、鋭くて治りが悪く、いつまでも男を疼かせた。その痛みを男は忘れられなかった。
それは若さをうらやむ痛みだった。
それが年を取ったということだ、そう男は思った。――少年と御曹司の若さを、うらやましいと思っていた。



男が二人の若さを、うらやましいと思うのと同じにおそろしいと思い知ったのは、そのすぐあとのこと。
異国であるが慣れ親しんだ地の、奥深く、奥深く、余人の入れぬ闇の中で繰り広げられた積年の恨みをその身に知ったあとのこと。
恨み――それは恨みか? 
恨みというには純度の高い、憎悪というには情けに満ちている。
男は愛を知っていた、御曹司が欲しがっていたものを持っていた。それこそ男の主がうらやむほど、何もかも、すべてを全部持っていた。ありあまるほど持っていた、溢れるほどに持っていた。だから余人にそれを与えることも出来た、存分に持っていたからこそ出来たのだ。

それは愛ではなかったか、それは恋ではなかったか。
男は忠誠だと思いたかった、忠心だと思いたかった。まだ子供だと思っていた、愛などしらないと思っていた。子供だと、まだ何も知らないと、そう男は思っていた。侮っていたのだ、男も男の主人も、子供だから知らないだろうと、子供だからわからないだろうと、子供だから忘れるだろうと思っていた。
だがそれは大人の傲慢というものだ。
新星の光に目がくらんで、男は自分の過去を忘れた。男の息子も同じ年で、少年が御曹司に出会って誓って身を捧げ、願って戦って破れて負けたのも同じ年だった。男の息子もすでに、恋を知っていたことを男は軽く思っていた。それがどれだけ力になるか、男もかつて同じであったはずなのに、それを思い出せないほどに男は忘れていた。

「ザンザス、おまえは何をしたいんだ…!」


すべてを壊すことを厭わぬ憎しみの炎を、男はようやく身に染みて感じた。冷たい悪魔の光を見逃したことを悔いた。
青年の瞳があれほど明るく光っていたのを見たのは初めてだった。それは悪魔にすべてを売り渡した人間の目だった。それをかけらも悔いていない人間の瞳だった。そうしたのは自分たちだった、自分と男の主だった。
破滅の音をようやく男は耳にすることが出来た。それはずっと聞こえていたはずの音だった、長い間、そう、あの赤い瞳の少年が、暗い冷たい場所で時間を奪われてから、ずっと聞こえていた音だった。本当はずっと聞こえていた音だった。男は聞こえないふりをした、風の音だと思っていた。星のまたたきだと思っていた、冬の夜の窓の外を走る、季節の風だと思っていた。
天使がラッパを吹いたのだと、流れる血潮が教えてくれた。
世界を壊す復讐の片棒を担ぐことを、青年は厭うことをしなかった。どんな命令でもかまわない、主のなすべきことを手伝える喜びに、青年の全身は満ちていて、震えていて、よろこんでいた。主の役にたてることを、なによりもなによりもよろこんでいた。

悪魔の光はまばゆかった。なぜ、どうして、紅い瞳の御曹司が、どうやって世界に舞い戻ってきたのか、男は知らなかった。そんなことはありえなかった。そんな重大なことを、主が男に教えないことなどあるのだろうか?
男は不安を感じた。自分と、自分の主になにかが起こっているのではないかということへの恐れを感じた。ありうざるべき危険が、喉元まで近づいていることを感じた。何かが起こっていた。そうでなければ青年が、あれほど力強く声を張り上げるわけがなかった。

「キサマも首を洗って待っていろぉお!楽しみにしてるぜぇえええ!」



光を見た。
それは暗闇で光る新しい星の光だった。
世界を自分の目で見ることを知っている、幼いが力強い光だった。
世界の中心を見つけてしまった瞳の涙、尽きることをしらない恋の炎が燃え上がるのを見てしまったのだ。
今もそれは輝いていて、喜びに満ちていて、かつてないほど熱く、強く、まぶしかった。何よりも何よりもまぶしかった。
汚れて泣いていた小さな子どもが、バネのようにしなやかで強く、するどくすばやく美しい男になって、男の前に立っているのを見た。
本当に、若さというものを、男は改めて実感した。
愛の力というものを実感した。



大きな声で捨て台詞を吐き、青年とその仲間はたちまちのうちに消えてしまった。
男は息子に詰め寄られた。息子は怯えて慌てていた。なぜこんなことになるのかわからないという顔をしていた。
自分も同じだ、と男は思いながら、息子とその友人たち、彼をささえる次の世の守護者たちへ、男は言葉をかけた。
これは逃れられない戦い、その指輪を手にしたそのときから、彼らは男の息子の運命へ、ひきずりこまれることになったのだと告げた。正確にその意味を理解したと思われる人間は誰もいなくても、それを言うことが重要だと男は思っていた。

地獄の門番はあの青年ではないのかもしれない、と男は話しながら思っていた。
あのときの少年と同じ年の、自分の息子とその友人たちを、地獄へ引きずり込むのは自分たちなのだ。
戻れない闇への道へ、光が何なのかもしれないような年端の行かぬ子どもたちを引きずり込むのは、彼らではなかった。自分だった。自分たちなのだった。
一族の歴史の中で一番の穏健派と言われた男の主の、あやまちを―――そうだ、あれはあやまちだった。今ならはっきりわかる。あれはあやまちだった。たとえようもなく、確かに――男は自分の子どもに清算させようとしているのだった。そればかりではなく、子どもの友人たちまでも、その地獄行きの道連れにしようとしているのだった。
なんというおそろしい罪!


明けの明星は堕天使ルシフェルの象徴。
ルシフェルはもっとも強い天界の天使の戦士の長の名だった。それが堕天して朝に光るまばゆい黄金の光となる。どちらも同じものだという不思議、どちらも同じものだという当然。
それは黄金の光だった。太陽にもっとも近い星は見ることが出来ない。明け方と夕方に一瞬だけ見えるその光は、まぶしくて明るくても太陽からは二番目の星だった。堕天した天使の名を持ち、神話の美と愛の女神の名を持つ星は、まさにあの青年そのものだった。

世界を手に入れる戦いが始まったのだ。







2009.3.24
書いたまま一ヶ月以上も放置してしまいました…。微妙に原作の事実を曲げて書いてることに気がついて愕然。
原作だとこのシーンは夜ですがアニメだと夕方だったので、どっちにしようか迷ったんですが、ビジュアル重視で夕方にしてみました。初めて見たのがアニメなのでアニメ準拠で。
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