ありふれた愛に関する記録・リピート・2
残酷な表現がありますのでご注意ください。







私はあの男が嫌いだ。






あの男、そうかつては子供だったあの男、かつて、そうかつて――昔むかし、八年、いや九年? まだそこまで前ではないか?
始めた見たときからあれは危険な匂いしかしなかった。白くて白くて、髪も肌も瞳も白い、細くて長くて薄くて、声が悪い頭が悪い躾のなってない、私はあの子供が嫌いだった。ほとんど憎んでいるといってもいい。
何がそれほど嫌いなのか、当時の私はわかっていなかったのだ。今思えばそのことの、なんと愚かだったことか!


あれは悪魔だ。


あれは悪魔だ――悪魔なのだ。
昔から白い子供は悪魔の手先だと決まっている。色のないものは悪に染まりやすい。
そうだ、あれは悪徳そのものなのだ。王子をたぶらかす夢魔、飲めば堕落するもっとも危険な麻薬だ。
あんなアバズレのどこが御曹司は気にいったのか。
本当に酔狂だと思った。あれは、本当は、御曹司の気まぐれではないかと思っていたのだ。御曹司といいながら育ちがあまりよくないあの赤い瞳の主は、同じ匂いのする犬に里心でもついたのに違いない。
困ったことだ。やはり育ちは隠せないのか? せっかくのドン・ボンゴレの地位を狙えるところにいるというのに、もっと友人は選ぶべきではありませんか。何度かそう、忠告したのに――あの子供と言ったら!
あれがたぶらかしたのだ、あれが誘ったのだ。場末のアバズレのように足を開いて、御曹司を尻にくわえこんで、御曹司を舐めとろかして、そうして御曹司をたぶらかしたのだ。どんな小技を使ったのか、そんなに体の出来がよかったのか? 確かに若くてイキがよくて元気そうだが、あんな下世話な子供のどこがいいのか、さっぱりわからない。
御曹司も所詮、悪所で暮らした癖が抜けないのだろう――まったく、ほんとうに、困ったことだ。
貴方はもっといい友人を選ぶべきだ。せめてもう少しいいところの、せめてどこかのファミリーの、そう、次世代のボスあたりとでも友好を深めてくれればいいんだが。
そのほうがずっとよかった――そのほうが、ずっと、益になる友好関係ではありませんか。そのために学校に通っているんでしょう? 
そうじゃありませんか、ザンザスさま。
間違っても、あんな手癖の悪い、気味の悪い、悪魔みたいなアバズレと乳繰り合うために通ってるんじゃありませんよ――わかってるとは思いますが、ねぇ、ザンザス様?

そのほうが、そうしていい子でいてくれたほうが、ずっと、ずっとよかったのに。









ゆりかごの事件の後、御曹司がどうなったのか私は知らなかった。詳しいことは教えてもらえなかった。生きていることだけは知らされた。
自分が裏切り者だから? そうだろう、おそらく。
私の密告に動揺していた九代目は、それが事実だったことを終わったあとに実感したのだろう。私に地位と命令権を与えてくれた。口止め料だ、それくらい私もわかっている。側近候補として御曹司につけられたのに、その御曹司を裏切って密告したことを九代目は恨んでいるだろうが、組織の中の秩序を乱す悪い因子を取り除くために、支配者にそれを告げることは否であるわけがない。是となさねばならぬ苦渋もあるのだろうが、それは九代目の心の中の問題だ。私はそれを告げたのだ、次善の策を講じなかったのは貴方の過ちだ。
私の過ちではない。けっして。私はなすべきことをしただけだ。当時も、そして今も。
今も――そうだ、使わなければただの極潰しなこいつら、ヴァリアーを使ってやっているのは私なのだ。もっと泥をすするような仕事をさせることだって出来た、そうしむけることだって可能だった。だが、そうやってこの部隊を壊してしまうのはいかにも惜しかった。剣帝を倒したあの子供は憎たらしかったが、あの子供の能力は、確かに無視することは出来なかった。壊してしまうのには惜しい。そして今は、御曹司の生死という、かつてないほど頑丈な枷がついている。使わない手はなかった。そうすることでしか、私は生きる糧を見出せない。
子供は確かに憎たらしかったが――私は心底憎んでいたが――、それを割り引いて見れば、確かに見目は整っていて、黙っていれば美しかった。この国にはめったにない白い肌や銀の髪や、灰青の瞳やしなやかな体は、いかにもな興味を人に抱かせるだろうことは簡単に予想がついた。
白くて綺麗に見えれば見えるほど、嗜虐の感情を呼び起こすのはある意味当然だろう。しかもまだ彼の体は子供で、毎日毎日毎日、まるで若木が育つように、肉体のやわらかさや丸みを失ってはいたが、まだまだそれを味わうことが出来ることは、誰もが知っていることだった。その合間の年齢の持つアンバランスさは、男女問わず誰でも、大人であれば目が奪われる輝きでもあった。そんなものを目の前にぶらさげられれば、食指が動かない人間はあまりいないだろう。私はそれを利用した。使わずにいられなかった。

だってそうだろう! 

私は彼が憎い。私から御曹司を奪ったあの子供が憎い。傲慢の名をもつあの子供が憎いのだ。当然だ、私が彼を憎むのは当然だ!
あの子供、そうだあの子供、左手のない傲慢の名をもつ少年のおかげで、私は表を歩くことが出来なくなった。
表の(マフィアの世界で表も裏もあるかとも思うが)世界、ボンゴレの正統のルートでの私の出世は金輪際ありえない。出世してみえるように、対外的には扱われるだろう。だがけして私は中央にいくことはできないのだ、そう決めたから、ドン・ボンゴレが。
私は正しいことをしたが、しかし同時に九代目の恨みも買っている。そして秘密を知っている。ゆりかごという、重大な秘密を知っているのだ。跡取りとしてもっともふさわしいとされていた美しい紅蓮の瞳の少年が何をし、何をされて、どうなっているのかを知っている。彼は外国に留学したわけではない、そして人知れず処分されて死んでしまったわけでもない。九代目の手によって、どこかに生かされている。凍らされて、時間を止められて。それがどこなのかは私は知らされていない。
もっとも知ったとしてもどうすることも出来はしない。
それはボンゴレの血脈の闇、血の呪い――私には何の関係もないことだからだ。
だから私はあの子供が憎い。私の未来を奪ったあの子供が憎い。私の野望をことごとく叩き潰しておきながら、のうのうと生きているあの子供が憎い。そんなに憎んでいるあの子供を捨ててしまえないボンゴレが憎い。――そう、あの子供を貶めることが出来るなら、何でもしてやるとさえ、思うほどには、私はあの子供を、スペルビ・スクアーロを憎んでいた。
それこそまるで、愛かなにかのように勘違いしてしまいたくなるほどに!






「口を開け」

私は自分を咥えさせない。噛み切られたら困るからだ。そんなことが出来ないようにしていても、この子供のとがった犬歯を見るとどきりとする。自分がどんなに優位であっても、私はこの子供が怖い。私にとってはこの子供は悪魔なのだから。
御曹司をたぶらかした悪魔。御曹司を堕落させた悪魔。男の精液に顔を汚されて、苦しげに床に這いつくばっていても、私はこの子供が怖い。威嚇しか知らない声が、子供の声で泣いて、喘いで、懇願してきてもまだ、私は怖い、この子供が。だから手の中の小さいスイッチを離せない――怖いから。スイッチを切れないのだ。これを入れている間は、この子供は威嚇できないから。憎しみと悲しみと、絶望と怒りの混じった瞳で私を見ないから。
戒められた体を折りたたんで、苦しそうに、辛そうに、喘いで泣いて苦しんで、悲鳴のように甘い声を吐き出すだけしかできないから。
腕をきつく締め付けると後で困るから、そうきつくは戒められない。それはこの子供の武器だから、それがなくなったら困るのは少年以上に、私の上司だろう。子供で腕が立つということは使い勝手が段違いなのだ。子供であるだけでガードが緩む、それを利用できるうちは使うだろう。閨の相手をさせるなら、それのために飼っている女はいくらでもいる。だが上手に殺せる男は少ない。
だからこそ私はこの子供を辱める。床に捕らえた体はぶるぶると震えてばかり。そうだろう、高めるばかりの戒めを施して、開かせた股関節の間には、太くて長い偽根を呑ませて。強弱はこの手の中、長く苦しめているからもう意識も朦朧としている。自分は果てさせられないのに、別の男の欲を遂げさせるために顎がしびれるまで舐めさせた。

「……、――ッ、―――!」

飲めなかった液体がここまで飛んでくる。全部飲みなさいと言ったのに、仕方ない。
私はスイッチを少し動かす。びくんと震える細い腰が、おもしろいほどに捩れる。そろそろ我慢できないようだ。ゲストは焦れている。確かにそうだろう、見目はいいこの少年を、思うまま自由に出来るのは楽しくて仕方ないだろう。そのために大枚をはたいているのだから、もっとよく味あわせろと願うのは道理だろうが、そう簡単に満足してもらっては困る。こんなアバズレだが、もっと高価な見返りを引き出すことだって出来るはずだ。そうでなければ困る。少しは私の役に立ってもらわないと、生かしている意味がない。

「それでは、そろそろ、……。ゆっくりしてください。そのほうが後で楽しめますよ。押さえ込まなくても、出せますよ。――そう、自分で。命令してください、自分でしますよ。……ええ。まだ子供ですから。――ほら、…よく熟れてきましたから、……怪我はさせないでくださいね。今は鞘におさまっていますが――」

悲鳴があがる。それはとても気持ちがいい――そして怖い。私はいつもそれを聞いていると喜びと同時に恐怖を覚える。あの悲鳴、あの声――たまらない。ぞくぞくするのと同時に血が下がる。興奮しながら恐怖する。私は恐れなければ興奮できないらしい。そうだ、これはこの子供のせいだ。この子供がわたしにその感情を教えた。この子供を蹂躙しているときだけ、私は興奮するのだから。

「いい鞘でしょう? あなたの剣――、ええ、立派な。ちゃんと収まるでしょう? こんなに細いのに――大丈夫ですよ。根元まで、は無理かもしれませんが。壊さないでくださいね、大事な武器ですから。それ以外はご自由に。存分に汚してやってください――そういう、ものですから」

いっぱいに伸ばされた薄い粘膜の皮膚を指先でなぞると、派手に悲鳴があがった。背後で少年を突いている男の、楽しそうな声が漏れる。満足しているようだ、よかった。これでいったいどのくらい引き出せるのか、そう考えるとぞくぞくする。楽しいのか怖いのか、おそろしいのか気持ちがいいのかわからない。私は眼鏡をかけ直す。ツルが汗で滑る。気持ちが悪い。子供はもう私を見ない。苦しそうに息を吐いて、抱え上げられた足を震わせているばかりだ。かわいそうに、――かわいそうに?
私はそんなことをこの子供に思っているのか? この子供に? まさか。
この子供が私の未来を消してしまったというのに――、私の未来にこれ以上の出世はない。腕を奮う機会などもうない。負けながらこの中で、一歩でも上にいけるようにもがくしかないのだ。私の未来を奪ったこの子供に罰を与えながら。
私は目の前でまぐわっている男たちの醜い姿から一歩下がった。後はもう、終わるまでの時間を耐えるしかない。少年が喘ぎを殺せなくなって、情死の一撃をくらって果てるまで、男の体の下で蹂躙され、踏みにじられ、散ってしまうまでを見届けるしかないのだ。
それは何度も繰り返された出来の悪い三文芝居のようだった。
私はそれを見ているだけだ。そう、私はいつも見ているだけだった。
少年が御曹司の腕の中で笑ったのに、それに彼が答えて嬉しそうに微笑み返すのを、ただ物陰からじっと見ていた――あのときと同じように。




全部終わってからゲストを丁寧に送り出す。今日は満足されたようだ。額がギラギラ脂ぎっていて、大層醜悪だった。いい顔だ。そういう顔をしている人間は、漏れなくアレの味に満足する。まだしばらくは使えるだろう、あの子供が子供でいるうちは。細い手足を引き寄せて、嫌がる子供を蹂躙することに満足を得る男は案外多いものだ。それが珍しく美しく凶暴であればあるほど、征服の欲は満たされるだろう。
ゲストを心地よく満たすのもホストである私の務めだ。この取引は本部も知っている。九代目は何も言わない。そこまで話があがっていないのかもしれないが、そんなことは私の知ったことではない。
これで、たった一晩の饗宴で、どれほどの利益を生みだすことが出来るのかと思えば、文句を言われる筋合いはないはずだ。取引を潤滑に行うためにおいしそうな奴隷を差し出すのは、当然の義務だろう。

遠ざかる車が見えなくなるまで見送る。あのクソジジィは今ごろ、今日のアレを思い出して満足しているだろう。久しぶりに複数で使ったのだ、費用をふっかけてやった甲斐があっただろう。取引の見返りも多めに要求したし、された。いい余興だと思っているだろう、満足したはずだ――とりあえずは。車が消えたのを確認して踵を返す。
後始末をしなくてはならない。
面倒だが、メンテナンスを怠ると切れ味が鈍る。人間も武器も同じだ。あれはよく出来た武器なのだ、まだまだ役にたってもらわなくては困る。

部屋の中は出ていった時のままで、だらしなく床に伸びていた少年はぼろきれのようだった。乾いていて、濡れていて、汚れていて、奪われていて、しかし何も無くしてもいなかったし、奪われてもいなかったし、色褪せていなかった、なにひとつ。それが口惜しいのか、安堵しているのか、私はよくわからない。憎しみと同時に口惜しく、益と不利益を天秤にかければ、奪われていないことを喜びさえした。価値が下がらないことはいいことだ。まだまだこれは高い値をつけてもらわねば困る。犯した罪をその体で補填してもらわなくてはならないだろう。
「起きろ。……起きているのだろう?」
そうだ、こんなことで気絶するようなタマではない。長く苦しめて果てた最初の折に、気絶した頬をたたいた私の掌に、精液と血の混じった唾液を吐きかけてきたこともある、そんな娼婦だ、この子供は。甘い顔などする必要はない。そんなことを望んでいないだろう、この悪魔は。
吐き出す苦しげな呼吸、起きていることを確かめる。腕の拘束は行為の中途で動きにくいと一人の男がはずしてしまった。義手は危ないからはずしていたので、それを放り投げれば、のろのろと床を這う右手がそれを拾って左手にあてがった。ゆっくりと体を起こす。ななめにしか座れないのは、押し広げられて揺さぶられた腰がきしむからだろう。膝が笑っているはずだ。呼吸は乱れる、時々止まる。そのたびにごぶごぶといやらしい音がして、少年の足の間がぬかるんでゆく。みにくく汚い行為の名残だ。
「今日は大変よかったらしいな。喜んでくれたぞ。いい声だったと。……だいぶ、慣れてきたようじゃないか? おまえも楽しんだだろう?」
そういえば、殺気のこもった瞳が見つめ返してきた。子供の目ではない、その青い瞳が、銀の髪の間から見返してくる。汚された顔も髪も、しかし中から溢れ出でる若さという妙味は隠しきれない。生き生きとした殺気が、肌の上をちりちりと焼く。それを私はおそろしいと思っているのに、興奮してしまって息が荒くなってしまうのだ。
そうだ、この子供が蹂躙され、力をなくし、抵抗できないまでに痛めつけられて、それでもなおあきらめずに見つめ返してくるのを見るのが、私はとても好きなのだ。この時間、このときだけ、私は本当の意味でこの少年より優位に立てる。このときだけ一瞬、私はこの子供に好意を抱く。犬や猫によこす興味よりも、はるかに薄い好意だが。
「なんだ、その目は? まだ足りないのか」
そういいながら先ほどまで少年をいたぶっていた偽根を手にする。さっと少年の目に怯えが走る。
いい気分だ。いい気分だった。少年の表情が、瞬時に冷えて固まってゆくのを見ているのはとてもいい気分だった。
「あれだけ子猫みたいに泣いていたのにまだ足りないのか? とんだ淫売だな。よほど具合がいいとみえる。そうやって、御曹司にも腰を振ってやったのか? ――そんな声で、鳴いたのか!?」
私は興奮している。そう、興奮しているのだ。こんなに固くなることはかつてなかった。このときだけだ、私がこれほど興奮しているのは。悪い薬でもやらなければ、ここまで固くなることなどありえない。女だったら悲鳴をあげて逃げている。
最初の悲鳴を耐えたのは褒めてやろう。いつまで持つか、楽しみだ。すごいぬかるんでいるじゃないか、なのにまだ物欲しげに蠢いているのは、どういうことだ、ああ? 
若いということは哀れなことだな。肉体の刺激に応えることが出来る体力があるということは悲しいことだ、そうは思わないか、スペルビ・スクアーロ? もう声も出ないか? 喉がつぶれるほど鳴かされていたからな? いやだ、やめろ、そう言って腰を振っていたのはどこの誰だ、おまえだろうが! この売女、このアバズレ、悪魔――そうだ、この悪魔め!
手の中できしむ腰の骨が細い。こんな細い腰に、肉のない薄い尻に、御曹司はブチ込んでいたのか? どこがよかった? なにがよかった? どうしてこんなものがよかったのだ? なぜこの子供がよかった? どうして? どうして? どうしてこんなガキがよかったのだ、この子供でなくてはならなかったのだ、どうしてあんなことをしたのだ、どうしてどうして私を、私を、私ではなかったのですか――ザンザス様。
どうして私を選んでくれなかったのですか。どうしてこんな悪魔を選んでしまったのですか。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてこんな悪魔をこんな白い悪魔をこんな子供をこんな気持ちの悪い子供をこんなこんなこんなこんな―――悪魔を!!

この悪魔が、貴方を地獄に連れて行ったのに―――。













夢のようだった。それは夢だった。私にとっては夢と同じことだった。
私は忘れていた、忘れようとしていた。そうしなければ耐えられなかった、彼がこの世に戻らないと思わなければ生きていけなかった。
裏切りの果実の味をいつまでも味わっているわけにはいかない、それは甘美だが毒なのだ。ちゃんと口に出来るものを食べて、生きていくことが肝要だ。少なくともそれが大人の態度というものだ。明日を、未来をただ壊すだけでは、意味がないのだ。
―――――意味がないのだ。

知っていた、知っていたのに。

「オッタビオ」

八年ぶりに、私の名を呼ぶ声は、それこそ麻薬よりもたちの悪い毒だった。一撃で意識を奪う打撃だった。匂いをかぐだけで夢うつつになる異国の花の香り、女を狂わせる禍々しい練り物、狂気を得て踊る中毒者の幻覚のようだった。

夢のようなその姿、最後に姿を見たときとほとんど変わらぬ、いや、少し背が伸びているのか? 面立ちはまだ子供の曲線、額の丸みが懐かしい。胸が締め付けられて息が詰まる、根こそぎ呼吸が奪われた。目が離せないのは火山の炎を秘めた宝石よりも赤い瞳ではなく、首筋を彩る鮮やかな羽根の数々。虹色の羽根が肩を彩る、二本の紐がその肩で揺れた。
ああ、あなたがそこにいる。なんという、なんということだ!

「あ、……あなた、は」

声が出ることが信じられない。なぜ、なぜ私はこんな声が出せるのか。こんな恋いうる乙女のような声、少女のような声、子を抱く母のような声が出せるのか――どうして?
前の前にたたずむ少年――いや、青年の瞳は赤い。灼熱の炎をたたえた瞳、私はなによりその瞳を大切に思っていた。ああ、それが私を見てくれることを、私はどれだけ求めていただろう? 王者の声と存在感と、しなやかに伸びる背には黒のコート――いや、これがヴァリアーの隊服だ。二本の紐、それは貴方の証だった――そうだ、そうだった。あのころ、私はそれを見るのが嬉しかった、口惜しかった、悲しかった、そして憎かった。
貴方は私の名を呼んだ、そして告げるのだ、私に。地獄の門が開いたと、そうしてこれからその門をくぐるのだと――人工の島の上に作られた楽園に降り立った禍々しい凶事を払う、そのために動く黒い集団の鳴動を私に告げる。それは貴方の手足、貴方の刃、貴方の目鼻、貴方の耳、貴方の言葉だ。貴方の存在をよりと遠くへ、より大きな声で人に語らせるためにある存在だ――それが暗殺部隊、ヴァリアーだ。そうではないのか? そうだろう、少なくとも私にはそうだった。――そうだった。
門をくぐる先導は彼の剣が勤めるのだろう、今はもう少年でも子供でもない者たちが、七つの大罪の名を冠する闇の集団が、貴方の露払いをするのだ、と貴方は告げる。それはそれはおそろしい表情で、それはそれで魅力的な表情で。
私はあの感覚を思い出す、あの子供を蹂躙していたときにしか感じなかったあの感情を思い出す。恐怖と興奮が同時にやってきて、体の中をぐちゃぐちゃにしながら激しい嵐が吹き寄せてくることを感じている。――こんなところで? 今は作戦中なのに?
貴方は夜の闇を見ている――遠く、遠くを。昔からいつもそうだった。いつも遠くを見つめていて、私はその先を見ることが出来なかった。けしてその先を一緒に見せてくれることがなかった――私はその先を見たかったわけではないけれども、貴方の瞳はとても綺麗で、私はそんな貴方の見るものの先を見たかった。見たかったのだ――かつては。
まだ私が若かったころだ。――私が、まだ野望を知らなかったころのことだ。



貴方の瞳が私を射る。おそろしい悪魔の表情で貴方は私を見る、そして叫ぶ―――私の野望を口にする。
そう、そうやって私は力を手に入れてきた。貴方が奪った私の未来を、こうやって私は手に入れてきたのだ。少しでも上に向かおうとあがくのは、男なら当然の野望でしょう? あなただってそうやって、上を手に入れるためにあがいたのでしょう――あの場所で、あの地下室で、何もかも破壊したいと願っていたのはそのせいでしょう? そうでしょう、私は知っているんですよ、私は、私は! 私は貴方を知っているんですよ、――そうですよ、だからこれは当然の報いなのです――あなたが、あなたが。

あなたが私を選んでくれなかったから。あの悪魔を、白い悪魔を選んだから、私は裏切るしかなかったのです! 貴方を知っているから! 貴方を、そう貴方を――貴方を! ああ、ザンザスさま、そう、貴方を――!!
あの悪魔がいなければ貴方はそんなことを考えなかったはず、あの悪魔があんなことを、醜い左手を捧げるなどということをしなければ、貴方はその足を踏み出すこともなかったのに! あの悪魔が貴方の懐に入らなければ、貴方の手を取らなければ、だから、だから、だから――あの悪魔が。私はあの悪魔が憎い、憎いのですザンザス様。

あまりにも私は憎くてわからなくなりそうです、私は貴方を愛しているのか憎んでいるのか、あの悪魔を憎んでいるのか哀れんでいるのか。

あなたを――あなたに捕らわれ続けているのがもう苦しいのです、もう自由にしてください。私を自由にしてください、そう、貴方から。自由にしてください、そのために貴方が邪魔なのです、貴方がいることが――貴方がまだ生きているということが私には辛い、生きていることが辛い。
そう、私を自由にしてください――私はあの悪魔ほどにはおかしくないのです、自由にしてください。
だから貴方を――貴方を、ここで。





襲撃事件はすべて貴方に覆されてしまった。モスカの動力が落ちる音を聞いて、私は何もかもが終わったことを知った。何もかも、そう、なにもかもが失われたのだ。誰が貴方を起こした、誰が貴方を生かしたのだ。貴方があそこで眠っていればよかった、そう、それであればよかったのに。そうしていれば貴方は誰のものでもなく、私は貴方を思い出にすることが出来たのに。あの悪魔をただ、さげすむだけで済んだのに。うらやむこともなかった、憎むだけですんだ、そうだ、ねたむこともなかったのに!

貴方の肩で揺れていたエクステが火炎でちりちりになっているのが見えた。白煙のかなた、貴方の表情がよく見えない。闇は深い、どこまでも深い。それは貴方の目覚めた闇のようだ、貴方が眠っていた八年の闇そのもののようだ。これから貴方が向かう道のような闇の中、モスカの銃撃を受けたザンザス様がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。怒気が肌を刺す、それはぴりぴりなどという生易しいものではない。衣服を突き抜けて直接臓腑に至るほどの圧力のよう、気を緩めれば気絶するような力だ。
貴方の声が耳を覆う、それは私を責める言葉であるはずなのに、なぜこんなに甘いのか。貴方の声はいつも私を捕まえる、そして私を自由にすることが出来るのだ。その声が私の名を呼ぶ、八年の間思い出すこともなかった声音は、私の中にたちまちのうちに蘇る。
「オッタビオ」
私の名を呼ぶ。私はそれをどれほど待っていたのか、そのときに嫌というほど実感した。
貴方の長い太い指が私の顔に伸びる、そうして頬をつかんでくる。
ああ、いつの間に貴方の手はそんなに大きくなったのだろう? 視線だって貴方のほうが上だ、最後に――ゆりかごの前に見た、最後に見たときの貴方は私より小さかった? それとも大きかった? なんということだ、私そんなことも思い出せないのか? 
――ああ、貴方の瞳が燃えるように赤いことが、こんな闇の中でもよく見える。赤い眼球に私が写っている、怯えた顔をしている醜い男が。それは誰だ? 私か、私なのか? 私はいつからそんな醜い男になっていた? あの――な男たちと同じような目で、濁った視線で貴方を見るようになった? 
ああ、ザンザス様、ああ、ああ、ああ――――。

「カッ消えろ」

貴方が私に下さった、それが最後の言葉なのですね。


これから貴方は闇を行くのですね、この長い夜の中を、闇の中を、血と硝煙と呪いと憎しみの籠もった夜を行くのですね――貴方の前を行く暗黒の、彼らに露払いをさせて、そうして貴方は昇ってゆこうとなさるのですね――何も知らず、何も見ようとしないままで。
醸造された憎しみも、凍りついた悲しみも、凝固した執着も、何も――何も知らずに戦おうとするのですね。
私の狂気も悪魔の悲鳴も、老人の涙も知らないままで――ただその闇を行くのですね――ああ、貴方は。


なにかもう少し考えることがあったような気がした。貴方にかける言葉はなくても、あなたは感じているのだろう。あなたに特性がないことは知っているけれども、けれども貴方には「ある」のかもしれない。きわめて近い何かが。
でもそんなものには意味はないのかもしれない、どんなに本物に近くても所詮は紛い物でしかないことを、貴方は感じているのかもしれない、それともそんなもの、関係ないと言い切るのかもしれない。ただ思う、私は思う、貴方に思う、そう貴方に、貴方に、思う、思う思うおもうもうもうオモウオモウオモウ思うのだ――ただ アナタ の 手 で     






青年の手の中でかつて人の頭蓋骨であったものは、たちまにもえあがり、もえひろがり、もえつづけ、そうして灰になって、崩れ落ちた。
残ったものは小さくて焦げてしまった、オッタビオのかけていたメガネの金具だけだった。


2009.01.22
オッタビオって使いやすいですねぇ…これはすごいキャラだぁ。なんだか番外編みたいなかんじになってきた……。


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