十五の夏・3
あれからもう十ヶ月が過ぎた。
最後に会ったのは病室に見舞いに行ったときで、
もう心電図ははずされていたけれど、酸素マスクだけはつけていた彼の部屋は、低い空気の音だけが響いていた。
ベッドの柵から包帯が伸びていて、上に出してある右手の手首を縛っていた。
彼は拘束状態にあるので、あまり自由にしないでくれ、とは注意されたんだけど、目にすると胸が痛む。
彼はずっと目を閉じていた。
管が包帯だらけの手から伸びていて、点滴の落ちる音が聞こえてきそうな部屋だった。
たぶんスクアーロは俺が病室に入ってきたときから目を覚ましていたんだと思う。
一時は昏睡状態で、一日半ほどICUにいたらしい。
そんな状態で青空戦につれてこられて、よくあんな声が出せたもんだと俺は思った。
結局あの後また意識不明になって、一日目が覚めなかったらしい。
白かった。全部白かった。肌も髪も腕も、シーツも壁もカーテンも。
俺は死んでいるんじゃないかと思って寝ているスクアーロの手を触った。
肌には弾力があって、かすかに暖かくて、ちゃんと彼が生きていることを教えてくれた。

「…なんの用だ」

声がすると思わなかったので驚いた。目が合った。目元が白い。
なんでだろう? 妙にきらきらしてる。

「お見舞いのつもりなんだけど、何も持ってはいるなって言われちゃったのな」
「そうだろうな」
「…大丈夫?」
「そう見えるか?」
「全然」
「なら聞くな」

スクアーロは話をするのも億劫なようだった。
投げやりな言い方は最後の声を思い出させた。
生命力にあふれていて、おそろしいほどにギラギラしていた最初の時とは、
別人とは思わないまでもずいぶん違っていた。
まだ初めて見たときから、ほとんど時間はたっていないのだ。

「どこが痛いんだ」
「全部」
「顔も怪我したのか」
「噛み付かれたからな」
「でも髪は切らないの?」

スクアーロは何か言おうとしたが黙りこんだ。
俺はその髪に触ってみたかったので、椅子を引っ張りだして枕元に座った。
顔の横で乱れたままになっている髪に指で触れた。思ったよりやわらかい。

「なんのようだ」
「だからお見舞い」
「暇なんだな」
「まぁね。学校、すごいあちこち壊れてるんで、終わるの早いんだよね。誰も気がついてないみたいだけど」
「だろうな」

めんどくさそうにしてるくせに、俺の質問に答えてはくれるんだ。
それとも傷が痛むのかな。声ははっきりしているけれど、小さい声だ。
スクアーロの髪に触れてみた。
ほとんど白に近い。
金髪なんだろうけど、それよりも光が反射して、銀色に見える。
触ってみると、黒髪とはぜんぜん重みが違っていた。
軽い。指で触れるとさくっと中に入る。
持ち上げると、糸のように細い髪が、ぱらぱらとシーツに落ちてきた。
少しぱさぱさしてる。血が固まっているのか、少しきしんでいた。
でも違う。俺たちの黒とはぜんぜん違う色と重み。人形みたいな髪だった。

「……おもしろいのかあ? それ」

めんどくさそうに聞いてくる。俺は顔を見る。
スクアーロは姿勢を変えない。視線は俺のほうなんか見ていない。
天井より遠いところを見ている。
やっぱり目元が妙にきらきらしてる。なんだろう。
俺は気になって仕方なくて、身を乗り出して顔を近づけた。

「お?」

目線だけ動かして、スクアーロが俺を見た。







「お茶どうぞ」

目の前にいい香りのカップが置かれた。なんだろう、とてもいい香り…懐かしい。

「いい茶葉が手に入ったのよ。毒は入ってないから安心して」

そういってルッスーリアが一番最初に茶を飲んだ。
続いてスクアーロが。
別に毒を心配していたわけではなかったが、
俺はその香りになんだか胸が苦しくなってきただけだったのだ。

「本当だ。いい香りがするなこれ! 放課後のにおいがするぞ!」

了平はそんなことを言った。うまいことを言う。そうか、それで懐かしいんだ。

「放課後?」

子供みたいな顔でスクアーロが聞き返す。
返事を期待してるわけじゃないことは俺はわかってる。
言葉を繰り返すのは、癖みたいなもんだ。
大体俺たちはこの二人と(二人だけじゃないが)普通に日本語で会話しているけれど、
ここ日本じゃないもんな。

「そうだな、そんなにおいがする。懐かしい」
「そう? 口にあってよかったわ」

ルッスーリアはそういって了平に笑いかける。なんだか妙にこの二人、仲がいいじゃないか。
俺はまたお菓子の話を始めた二人の話を聞くともなしに聞きながら、
やっぱり目の前の男を眺めていた。
スクアーロはその視線に気がついているんだろうけれど、
とりあえずは今、目の前のお茶を飲むことに専念してるみたいだった。

「山本、俺の顔になんかついてるかぁ?」

カップを置いてそう問いかけられる。

「んー? ついてる」
「目と鼻と口と耳ならきかねぇぞ」
「ちぇ」
「……なんか用あんだろ」
「ん? ん、顔見たかったんだけど」
「そんだけかぁ?」
「うーん…なんかもっとしたいことがあったような気がしたんだけどさ…
 なんか、アンタの顔みたら、もうどうでもいい気がしてきた」
「なんだそらぁ」

呆れたような顔をして、スクアーロはどかっと背中をソファに持たれかけさせた。

「暇なんだなぁ、十代目の守護者は」
「まだ学生だもん」
「そっか? あー、…日本もヴァカンスか」
「まぁね。せっかくだから、少し手合わせしてよ」
「ん? 少しは強くなったかぁ?」
「自分で確認しなよ」

剣の話を向けると、ぱっと生気が湧いてくるのがわかった。
かわいいなあ。


……なんだこの感想。


俺はカップを置いて立ち上がった。

「庭に出るか」
「そうだね」

一気に元気になるのがわかって、なんだか俺はおかしくなる。
アンタ、そんな顔するんだな。
俺はスクアーロについて、長い廊下を歩いていった。




「なんで髪長くしてんの? 邪魔じゃない?」
「そんなへまはしねぇ」
暗に俺が、「仕事」に邪魔じゃないのか、
という意味を込めて聞いたことにスクアーロはちゃんと気がついていた。
病室は静かだ。廊下にはずっと監視が立っていて、
この部屋の窓は格子がはまっていて、手を出すことしかできないのに、
この部屋はどこかから切り離されているようだ。
また、点滴の音がだけが耳に入ってくる。

「怪我したのに、切らないの?」
「それは、……俺が決めることじゃねぇ」

……どういう意味だろう。
点滴を打たれて、手首を拘束されている右手が、ゆっくりと握られて戻る。
その動きもどこかぎこちない。
布団から出されている肩はそれほど細くはないが、
体が薄いのか――病院の薄い毛布に包まれた体の、
全部がそろっていることがなんだか嬉しくて、俺は目の奥が熱くなってきた。

「……どうすんの、これから」

聞いたって、しょうがない。

「さぁな。上が決めるんだろ」

……そんなこと、言うんじゃないかと思ってた。声が硬い。

「どうしたいの」

ああ、睫がすごい長いんだ――俺はそんな場違いなことを考えていた。
切れ長の瞳のふちに、びっしりと薄い色の、睫が生えていて
―――それが病室の蛍光灯の光を反射して、
スクアーロの目元を妙にきらきらと見せているのだ。
そんなことに、俺はようやく気がついた。
近づいたら音がするんじゃないかと思うほど、びっしりと生えている色素の薄い睫。
目の色が本当に、青を通り越して白い。
こんな色で、俺と同じ世界を見ているんだろうか…?

「睫まで色がないのな」

俺はそういってもっと近づいた。額にかかる前髪が包帯の上に影を作っている。
睫も同じように、伏せたほほにうっすらと影を作っていた。
なんだかそれを見つめていると、本当にいつかどこかの写真で見た、外国の陶器の人形のような気がしてしまう。

「あ゛…?」

ようやく俺のことに気がついた、とでもいうように、視線が動いた。
伏せた睫の下から、虹彩の薄い瞳がこちらを見てくる−−心臓が踊りだした。いきなりだ。

「なんだぁ…?」

どうしよう。
動けない。
体の中で、心臓だけが大きな音を立てている。
背中を血液が流れているのが聞こえるみたいな気がする。熱い。なんだこれ。
音が聞こえた。それくらい近かった。スクアーロの瞼が、ゆっくりと伏せられて、また開いた。


もっと近くで見たかった。



2008.9.28
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