目覚めよと呼ぶ声が聞こえ・2


車は流れるように走る。
レヴィの運転は神経質で細かく、最新の注意を払っているのか、乗り心地は悪くない。
運転を楽しんでいるように思えないので、いささか気詰まりではあったけれども。

車窓の風景は流れてゆく。まだ緑だった木々の色が変わってきていた。南部の山にも冬は来る。短い冬は雨の季節。最近はあまり雨が降らないせいで、春先に山火事が多かった。乾燥していて風が強いので、一旦燃えるとなかなか消えない。
ボンゴレの本部の館が見える。普段はカーテンが閉められている二階の窓にまですべて、明かりがともされていてキラキラ光っている。伝統と文化が輝く建物は豪華であるが退廃のにおいがする。
パーティは公式のものではない。そんなものに彼らは顔を出せる身分ではない。今回は本当に身内だけ、取引のある関係者を含めた大々的な公式のパーティはもう終わったのだ。今日は数少ないボンゴレの身内だけの催し、本来ならばヴァリアーのメンバーの誰一人、招待状をもらって会場にいることが出来る立場ではない。むしろ蛇蠍のごとく忌み嫌われるべき存在であるほうが正しい。
車寄せにするすると入って玄関に横付けする高級車は建物の灯りの下で滑らかに輝く。助手席から降りてきたルッスーリアがドアをあける。本当は杖がなくても歩けるのだけれども、スクアーロは先に杖を出してから足を投げ出した。腰を回して補助具に力を入れて掴み取り、ゆっくり立ち上がる。ルッスーリアが手を貸してくる。確かに長く寝ていたので筋力が落ちていて、杖がないとバランスがとりにくい。スーツの生地がやけに重い。
玄関ホールに向かう。後ろに正装したベルフェゴールとマーモンが、スクアーロを護るようにして続く。ルッスーリアは少し遅れて続く。
玄関のドアをくぐれば、そこには笹川了平が立っていた。
全員その人物がそこにいることを全く想定していなかったので、皆一様に目を見開いて、似合わないスーツを着た少年を見つめた。

「おお!久しいな、皆! 極限元気にしていたか?」
意外なメンバーに彼らは驚いた。ルッスーリアが色めき立つ。
「まだ怪我が治らんようだな! 大丈夫か?」
「…なんでおまえがいる?」
「よくわからんが、招待されたのだ! おまえたちも元気なようだな!」
「…元気なように見えてんの、この馬鹿」
「あらあら久しいわ、晴の守護者の子ね! あいかわらずいい体してるわねぇ」
「おう! 褒めていただいて極限光栄だ。さあ入るといい。おまえたちが最後だ」

素直にルッスーリアの賛美を受け取る、その少年は彼らの行いを責めず、しかし奢らず、語らなかった。ただ彼らをそのドアの内側へ誘った。
そこは本当に内輪だけの催しなのだろう、かすかに響く音楽は有線で、室内にはそれほど多くの人はいない。
ボンゴレの本家の家族と親族、その親類、十代目の守護者がみな揃っている――雷の守護者はさすがにいなかったようだが。
ここに来ることは出来ない霧のはともかく、雲までいたのには驚いた。

一番奥の少し高い段の上、そこに並ぶ九代目はまだ立つのがつらいのか、車椅子に座ったままだ。
その隣に立つ小さい姿はあの子供、そして反対側には――スーツの背中にまとわせた闇の影もしっとりと深く、そこだけがどれほど明るいシャンデリアの光のもとでも変わらぬ、ただひとつの夜のいろがあった。

セットした髪の先にひらひらとまとわりつく赤の羽根のエクステ。長く垂れ下がる青と銀の細い糸が肩を撫でる。つややかな黒のスーツは、上等な生地であることを、その光沢で語った。少しやせたのか、肩の下で体が泳ぐ。ぴったりあつらえたスーツがそんな、違和感のあるシルエットをゆるすはずがないのだ。カフスは何を使っているのか、彼がもっとも好んだ深いルビーレッドのボタンはまだ、ヴァリアーの城の彼の居室にあるはずだ。うつむいた横顔が開いたドアの音に反応した、ように見えた。
そんなことはないのだ。彼なら、彼ほどのものなら、車が入ってきただけで、彼の部下の存在など、きっと感じ取っているはずなのだ。
彼が視線をよこさないのはただ、まだ――許されていない、ということなのだろう。そう思いたい、そうであると思いたい。
背後でドアが閉まる。凍りついたように動けないスクアーロの隣にルッスーリアが残る。他のメンツは早々に、あたりを見回したと思ったらすぐに散ってしまった。挨拶をするために九代目の前に立つ? そんなことを望まれているのか、自分たちは、果たして? 
門外顧問がこちらをじろりと見る。嫌われているのは知っている、だがスクアーロにはたぶん、何も見えていないだろう、今は。

「スクアーロ?」
「…あ、………ああ、…悪ぃ……」

促されてようやく、青年は動き出す。今までたぶん固まっていた、瞬きも忘れていた。ようやく生き返った、人間になった。
ぱちぱちとまばたきをする顔を見て、まるでお人形みたいねぇ、とルッスーリアは思った。
そう、たぶんそうなのだ。ようやく人間になったのだこの男は。いままでたぶん、人形だった。死体だった、生きていなかった――そう、今、人間になった。土くれに命を吹き込むドルイドの魔法のよう、あの男の炎がこの人形に命の火を灯したのだ、ようやく。

「……なんだか魔法みたいだわ」
「はぁ?」

ぽかんとした顔をする青年の、たぶん時間はまだ止まったままなのかもしれないと、しなやかに身にまとわり付く極彩色のドレスの裾を裁きながら格闘家は思う。彼らの主がまだ十六歳の冬を越えていないように、この青年も十四の冬をもう一度、繰り返しているのかもしれない。

「コッペリアの魔法を見ているみたいだって思ったのよ」
「意味がわからねぇぞぉ?」
「さ、端によけましょう、スクちゃん」
「ああ」
「何か飲む? とってきましょうか」
「何があるんだぁ?」
「アルコール入れる?」
「あんま入れたくねぇなぁ…適当に見繕ってくれ」
「わかったわ。粗相しないようにね」
「わかってらぁ」

ドアの前に突っ立っているわけにはいかない。二人して脇によけながら参列者を見る。
見知った顔がいくつもあり、そのどれも様子を伺っているような気配。乾杯の合図があるようす、ルッスーリアが軽いカクテルを持ってきてくれたので、スクアーロはそれを舐めながら壁にもたれる。椅子に座ると立てなくなりそうなので、観葉植物の奥の壁に隠れて、上段の主賓を盗み見る。合図の後ですぐに挨拶に周り出した九代目とその息子、声は聞こえないけれど姿は見える。ツナヨシは車椅子に座ったままの九代目を伺いながら話している。少し離れて斜め後ろ、いまだ息子としての名代のままの彼の主が、表情を窺い知れない姿勢で立つ姿を見ているだけで、スクアーロは本当に、呼吸がすっと楽になった。息子の後ろには護衛がぴったりついていて、ツナヨシの後ろには彼の右腕になろうとしている灰色の髪の嵐の守護者。
世界に急激に色がついた、それはもう本当に、鮮やかに、信じられないほど簡単に。見えても感じられなかった世界の色もにおいも感触も、口にしているアルコールの匂いも、こんなものだったのかと改めて思うこの不思議。微炭酸が舌の上でぱちぱち跳ねる。
呆けているような表情が戻らない、そうしていると本当に、なんというか、いけられた花束の百合のような風情。剣呑な顔をしなければ本当に、白く整った綺麗な面持ちはやはり、モデルのような整った容貌が人の視線にめでられるためにあるような存在になる。

「珍しいね」

そっちが声をかけてくるほうが珍しい。スーツをまとうと本当に細い体の、雲の守護者がスクアーロの隣に立っていた。
気がつかなかった。猫のような存在感、呼吸も感じられなかったのは参った。ここで何かされたらたぶん今、死んでいる。
まだ子供のはず、しかし動きは洗練されたこの仕事の熟練のプロの持つ、それ。どこか人形めいた顔立ちまで、スクアーロと同じ雰囲気をもっている、ように見えるだろう。外からは。質が本当は真逆でも。

「…おまえ、雲の」
「雲雀恭弥、だよ。雲のなんて名前じゃないよ、スペルビ・スクアーロ」
「ヒバリかぁ。おまえがこんなところに来るなんてなぁ、珍しいぜぇ」
「本当に嫌なんだけれどね。群れているのは気に入らないよ」

視線を一瞬はずす、その先は黒髪の、スクアーロの主の背中へ向かっている。
そういえば争奪戦のそのときも、彼だけはまっすぐに、ボスの目をみて楽しそうに笑ったのだそうだ。
『キミは楽しめそうだね』といいながら脇を締めたのだと聞いている。

「…ちょっと気になったのさ、あの王子さまと…キミがね」
「俺がかぁ?」
「そう。思ったより元気そうで何より。本音を言えば、キミと戦いたいんだ、僕は」
「ああん? それちょっと今は無理だぜぇ」
「貴方がそんなこと言うなんて珍しいんじゃない? 先代を屠って殺したって聞いたけど」
「俺ぁ別に命のやり取りをしてぇわけじゃねぇからなぁ」
「そう? 意外、そういうの好きかと思ってた」
「死んだら失敗だからなぁ、それは無理だぁ」
「ああ、そういうこと」

意味を正しく理解して、まだ未成年のはずの雲の守護者はグラスの中の飲み物を干す。酒はまだ飲めないはずの未成年も多いこの宴、この色からすると飲み物はジンジャエールかアップルタイザー。それを上質のシャンパンのように飲む、綺麗な喉仏も小さくて薄い。

「アルコールなんか飲まないよ。日本じゃ禁止されてるもの」
「そんなこと気にするのかぁ?」
「あたりまえでしょ。秩序を守るのが好きなんだ」

そういいながら自分が一番そんなものより自由な、雲の守護者は口元を少しだけ上げて微笑んだ。
普段の顔はそれほど人目をひくように見えないのに、そうやって口元を少し、あげるだけで一気に色が出るのが不思議。抜けるような象牙の肌は、東洋人特有のなめらかさを光の下で堂々と誇らしげに体現していて、若く美しいキメの細かやかさと、濡れるような黒い髪が、西洋人の羨望を誘う要因そのものだった。
普段はひどく無表情、だからわずかな変化だけで、驚くほど色を変えてくるのだろう。

「キミの王子さまはおとなしいじゃないか」
「…顔見るの、久しぶりだぁ」
「ふーん。まだ療養中ってことなの?」
「俺はなぁ。なくてもいいんだけど」
「カモフラージュも楽じゃないね」

頭の回転が早すぎる人間との会話は疲れるもんだということを、スクアーロは久々に思い出した。ヒバリキョーヤはザンザスとはまったく似ていないが、どこか彼と共通する空気を持っている。なにより話し方がそっくりで、主語も述語も省いて、理解した結果だけ口にする。
子供だからなのか、そう思いながらすぐに、スクアーロは彼の主も本当は、この少年とそれほど年が変わりはないのだということを理解する。

「やけにおとなしいじゃない」
「普通だぜ?」
「この前はあんなに暴れん坊だったのに」

どこか懐かしむような目をして、目の前の少年が笑う。自分だって毒薬を注入されたりとかしたくせに、ひどく楽しい思い出を回想するような目で、鳥の名前の少年はぞっとするような顔で笑った。そんな顔をするものを、どこかで見た気がする、とスクアーロは思った。

「今日は命令されてねぇからなぁ」
「ワォ」

小さく感嘆の声に近い囁き。いいかげん視線を戻さなければ、そう思って視線をはずす。

「ずいぶん余裕じゃない、キミ」
「おまえとやりあうつもりはねぇからなぁ」
「…そう? 残念だね」

テーブルにグラスを置いて、手ぶらになった雲の守護者はかなり高い位置にあるスクアーロの頬に手を伸ばした。何をするのかといぶかしがるのに、不思議な顔をして頬に触れる。

「全然嫌がらないんだね、キミ。…ちょっと意外」
「…なにがだぁ?」
『Dollかと思ってたけど、Dogだったんだね』

そこだけ英語で口にされた。一瞬脳内のチャンネルが切り替わらず、スクアーロは何を言われたのかわからなかった。

「ああ?」
「犬ならちゃんと判断できるからね。そっちのほうが、噛み殺し甲斐があるよ」

笑う表情を見ていると、ああ、この子供も王様なのだ、ということに気がついた。自分を支配者として教育することを厭わない種類の人間の顔を、意図的に出来る階級の人間。そうであろうとするプライドが垣間見える。
だから自分はこの少年の前で、なんだか抵抗する気が、しないのだろう。王をかぎ分ける犬の嗅覚は鋭い。命令を下せる人間を瞬時に見分けるのも、優秀な犬の条件。

「元気になったら噛み殺してあげる。…キミとヤルの、すごく楽しそう」
「やんねぇぞぉ」
「遊んでくれるくらい、つきあいなよ。きっとキミも楽しめるよ?」

そんな物騒なことを言って、綺麗な日本人形みたいに表情が読めない少年が、にやりと口元をゆがめて、顔を寄せる。睫が黒い、そして意外とぽってりと眼にかぶさるまぶたの厚ぼったさが、見慣れないせいか不思議な気分。エキゾチックな東洋の姿は西洋の人間にとってはやはり、どこかあこがれの対象なのは、100年前も今も、あまり変わらない。

「そんなことがあればなぁ」
「……あるよ。完全になったら、遊んでよ、――約束だよ、スクアーロ」

そういって寄せた赤い唇が視界に迫ってきて――唇にそっと触れて離れる。

「口約束」

そうして笑うその表情はどこか、写真で見た舞の面に似て。

「王子さまが怒る前に退散するよ」

そういって、東洋人にしてはキスがうまい雲の守護者は、さっと背中を向けて立ち去った。


少しの間、離れてしまった視線を主に戻す。背中を捜す、赤い羽根を捜す。それはすぐに見つかる。親戚の一家に挨拶をしている九代目、そのお付き合いとして引きずりまわされている彼等のボス。やはり横顔だけがちらり、高い鼻の向こうにかくれた瞳が何を見ているのか、スクアーロには窺い知れない。

視線を。

一目自分を見てくれれば、それだけでもう、じゅうぶんなのに。


そう思う自分がどれほど、人目に毒な存在なのか、本人は理解していない。視線をよこされる王子様は妙な心地、それは強制にも似た脅迫のまなざし。そんな目で、乞い願うのではなく、見ろ、こっちを見ろと、ふだんの声を連想させる強さで見つめるまなざしが、耳に響いてうるさいくらいの大音量。見えない声で、耳元で怒鳴る、銀色の鮫は主の注意を引く方法を知っている。
だから主は怒っている、普段のように怒っている。うるせぇ、だまれ、静かにしろ、口に出さずに怒っている。それを銀色の鮫は理解しているのかしないのか、そのあたりはわからないが、しかし視線はひたりと据えたまま、見失わないようにじっと、主の背中を追いかける。護衛の視線に混じるのは、それはなんの色なのか、ザンザスは知ってるような気がしていた。

2009.1.18
ヒバリさん書くのおもしろいなー。話し方でキャラわけできるんだから、少年マンガのキャラ分けとしては完璧ですねぇ。

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