その髪に触れてみたかった と思っていたのは 今もそんなに かわらない。
さらりさらりさらり、どうしてこんな色の毛髪がこの世に存在す
るのだろうか、と山本武はいつもこんなときに思う。同じ人間のもちものなのかこれは。なんでこんな毛が頭から生えているんだ。産毛も下の毛も同じ色だった
から、本当に地毛がこの色なんだろうけれども、それにしたって不思議な色だ。睫毛もそういえば同じ色だった。
「なんかおまえの触り方、おもしれぇな」
だ
らんと寝そべったスクアーロは汗まみれで、床が冷たくて気持ちがよかったのは本当に初めのうちだけだった。激しく動いた後はすぐに床だって汗でぬるぬる
滑って、乾くとシミになって臭くなる。知ってたのに何してるんだ、と思うけれども、山本武は床に寝転んでスクアーロの髪を弄っていた。癖がなくてはねてい
て、でも巻いてなくてもつれていないし枝毛もない。
「どーやったらこんなに毛先まで綺麗になるんだろうな?」
「あ゙ぁ?」
ご
ろんと横になったスクアーロは、まさしく地上に上った魚の趣、無駄に長い(でも本当は全然無駄じゃない)手足が木を張った床の上でだらりと伸びて、薄い体
はその中心で真っ白で、長い銀の髪が背中を隠して、組んだ手の上でめんどくさそうに息を吐き出す綺麗な顔が見えないのが惜しいけれど――背中の骨が皮膚に
浮き出て、本当に、魚のようだった。
背びれが見えるんじゃないかと思いながら背中の髪を払う。剥き出しの肩甲骨がくっきりと影を残すほど、その上についた筋肉が左右のシルエットを少し変えている。利き腕は左だけれど、日常で使うのはほとんど右のはず。箸を使うのだけは難しいが、それ以外は、なんでも――。
「一応手間はかけてんだぁ――みっともないからなぁ」
「へー? そういうのやっぱり気にする?」
「気にしねぇわけねぇだろぅがぁ」
「そうなんだ……なんか意外。スクアーロって」
背中の骨を指で辿る。汗が引いてゆく。白い肌の上に残る汗は味が違っていた。体臭が違うからだ、ということに気がついたのは、後で自分をかいでみたから。
「そういうの気にしないっていうか、もっとストイックだと思ってた」
「ばぁか」
頭を乗せていた手が伸びて、放り出したタオルを探す。見つけて渡せば、それを引き寄せて肩から前にかけて、めんどくさそうに体を反転させた。
ああ、綺麗な形の腰が見えなくなるのが惜しい、と山本武は思った。
「それくらいは最低のたしなみだろぉが」
「ザンザスの、お気に入りでいるために?」
ぎろりとにらみつけられる。本気の視線に一瞬、身がすくむ。ヒットポイントの減り具合はこっちのほうが少ないはず、回復速度はまだ、勝っている――と計算する間もなく。
「イタリア男を舐めんなよ、ジャッポーネのガキがぁ」
ぴょんとバネみたいに起き上がったスクアーロの、左手でおでこをバチンとはたかれた。
本気の力の半分以下、なのは衝撃でわかったが、それでも一瞬、ホワイトアウト寸前。
「あー、ごめん」
「マフィアってのは人気商売だかんな、……俺等は広告塔みたいなもんなんだぁ」
「暗殺部隊なのに?」
「名前出して仕事するわけじゃねぇしな。…ボスさんが『そう』だから、俺等もな、…表に出る機会があるんだぁ」
「そうなの?」
「そこでみっとない格好してたら、ボスさんの評価が下がるだろぉ」
「はぁ…」
かわるような、わからないような、わかるような。
あ、それってつまり、野球部の不祥事で甲子園いけなくなるとか、そういうことか? と、考えて、山本武は深く納得した。
そんなら気を使うよなー、いろいろかかってるもんなー。
そのままあたりに脱ぎ散らかした服を着始める、手つきが妙に手馴れていてなんだかちょっと、なんだかなぁ、と思いながら、山本武は半身を起こしてそれを見る。
「もう終わり?」
「おまえもとっととここ出ろ。もうちょっとすっとそこらへん、日が差してきて暑くなるぜぇ」
「そうなの?」
「別におめぇが半分だけ焼けたいってんなら別だけどな」
「よく知ってるね」
そ
んなことを言いながら、てきぱき動く手足が服を着て、綺麗な筋肉となめらかな肌を隠すのを、ダンスのショーでも眺めているような気分で見ている。色気も艶
も人の十倍超はありそうだけれど、今はあまり、そんな気分で眺めていたい、わけでもない。ただ綺麗で早くてしなやかで、手足の指や関節や背中や、そこを撫
でる銀の髪が生き物みたいに動くのを、眺めているのがただ楽しい。自分だけが見ているのがなんだか惜しい。
「日本の日差しは強すぎるぜぇ」
最後にサングラスをかけて、完全に元の姿に戻って髪を、服の中から引き出す動きが妙に、綺麗過ぎて目に痛い。
「なぁ、明日は」
「今日はちゃんとマッサージして飯食って寝ろ。明日は一日全部やるからな、よく休め」
「えー、マジで!?」
「遊んでる余裕がなくなるほど」
荷物を手にして薄い背中が光の中に踏み出そうとするのを目で追いかける。明暗の差が大きすぎて、外の光が目に入らない。真っ白な光がまぶしい――スクアーロが溶けて消えそうな気がする。
「明日はしごいてやるからなぁ」
それだけ言って、銀の髪が光の中に消えていく。
山本武は遠ざかる足音を途中まで聞いて、そのままごろんと横になった。
「遊びかぁ……ちぇ、『遊び』扱いかよ」
鍛錬の後で手を伸ばして、拒まれなかったからそのまま、汗を舐めてすすった――のは、少し興奮していた体をお互い、撫でて高めて息を吐いて、耳の中で名前を呼んだのは、スクアーロにはとってはまだ、「遊び」の域でしか、ないということなのだろうか。
拒まれると思ったのに案外普通にさせてくれたから、ちょっとは、とか期待はしたけれども。
「まぁ、でも、俺すごく、いいとこにいるんじゃね…?」
ただ触っていたときはわからなかったけれども、終わってごろんと並んで横になって、背中を向けられてちょっとばかり、ぎょっとしたのは――背中に一面、まるで出荷照明みたいにべたべた、残された飼い主の、しるしがまだ、赤くて綺麗で瑞々しかったから。
日本に来る寸前につけられたとおぼしきそれに、はたしてスクアーロはどこまで気がついているのかなぁ…? と思いながら、飼い主以外でそれを見ることを許された――というか見てしまったことに、なんだか今頃になってからじわじわ、嬉しさがこみ上げてきた。
飴と鞭の使い方が本当に上手くなった銀鱗の魚の手管がどこで磨かれたのか――ということを、山本武はまだ知らない。