冬がはじまるよ

「失礼しまーす」

最近少し、声がまた低くなった王子が、きちんとノックをして、ちゃんと許可を貰い、きちんと挨拶をしてその部屋に入る。
ヴァリアーのアジトの最上階へ続く部屋、暗殺部隊のボスが仕事をする豪華で広い執務室へは、平隊員ですら入ることが許可されているが、なかなか、気軽に入ることが出来るような場所ではない。
幼いころからそこに出入りしている王子でも、少し、緊張する場所ではある。他の隊員とは意味が少し、違うけれど。

「…………」
「そこに置け」

ドン・ヴァリアーは視線を上げず、机の上の書類を眺めて渋い顔をしている。そこまでの距離は相当あるが、今はまだ日差しがある時間、窓の外からは力のない冬の光が、部屋の中にやわらかな明るさをもたらしているばかり。
普段は影に隠れて見えない、暗部の王の表情も、今日はなんだかよく見える。

「…どうした」
「……ううん、はい、これ」
「何か問題はあったか」
「問題、っていうか、―-ちょっと気になることがあったんだけど」
「話せ」

王子は少し気になっていたことを話す。ボスは話を聞きながら少しばかり考えている様子。伏せた睫毛の影が、血色のよさそうな頬に落ちる。
それもなかなかに見ごたえのある美形ぶりだが、しかし今日はそこではない。問題はそこではない、王子の視線が向かうのはそこではない。争奪戦から数年が過ぎて、いよいよ男ぶりに磨きのかかったハンサムの顔ではなくてそのごく近く、隊服をひっかけただけの肩にたいへんお行儀よく、こてんと転がっている小さい頭のほうにある。

「……ちょっと出所がおかしいんだよね。普通ならルートはもっと東を回るはずなんだけど、いつも使ってるディーラファミリーの中で抗争があったみたいでさ…そこまで今回調べる余裕がなかったんだけど、耳に入れていこうと思って」
「…そうか。…前も何かあったな、あそこは…」
「ただのお家騒動ならいいんだけど」

そこで話を切って、ベルフェゴールはじっと、ボスの肩に乗っかっているそれを見た。小さい形のよい頭と、その持ち主をだ。

「……で、話変わるんだけど、なんでそこに先輩がいんの」
「撫でてたら寝たからだ」

返事は短い。
しかしてその中に多くの情報が含まれていて、王子は前髪の向こうで目を見張った。

執務室の一番奥の大きな机、そこはザンザスの指定席のようなものだ。ほぼ毎日そこで執務をし、時々は体を鍛えに行き、めんどくさそうにパーティや呼び出しにいないこともあるが、基本引きこもりの人嫌いのボスは、部屋にこもって仕事をしていることが多い。

そのボスの、膝の上に。

ヴァリアーの副官、スペルビ・スクアーロが、ザンザスの膝の上に乗っかって、肩に頭を乗せて、すうすうと眠っていたのだ。

さらさら流れる銀の髪は、広いけれど薄い背中や平べったい腰を覆い隠し、ザンザスの膝に向かって流れている。
それをザンザスは時々指ですいたり間に指を入れて撫でたり、毛先を絡ませてくるくると巻いてみたり、手慰みに弄くっている。
長い手足はこうして見れば驚くほど細く見え、それがザンザスの腰に回っていたり、膝をまたいでいたりするのだが――だがしかし。

「つーか、ボスそのかっこで撫でてたわけ」
「ひっついてはなれねぇからな」
「あー?」
「眠いんだとよ」
「めずらしーじゃん」
「寒くなったからだろうよ」

そういって、ザンザスはベルフェゴールの持ってきた書類を眺める。ぱらぱらとめくって確認し、見終わって閉じる。

「あー、もうそんな時期なわけ?」
「そうらしい」
「ふーん。鮫の暦って正確だね、案外」
「動物だからな」
「そういや一昨日あたりから寒くなってきたって話、聞いたよーな?」
「それだろう」
「ふーん」

すうすう、寝息も聞こえないほど静かに、スクアーロはザンザスの膝の上で眠っている。小さい頭が肩にのせられ、両手が肩からずり落ちそうなのを見る限りでは、抱きついていたのが眠って解けてきたのだろう。
それにしてもそんなものを膝に乗せて、仕事をし続けるなんてボスって忍耐の人なんだなー…と、改めてベルフェゴールは思った。
昔が逆だと思っていたけれども、自分がある程度、大人になってから見えた自分の「保護者」の関係は、子どもの時分に思っていたのとは、まるきり逆の様相を描き出していて、それに気がつくたびに、なんだかさびしいような、嬉しいような心地がしてきたものだった。
これが少し前だったら、そんなところで寝るなんて出来るわけもなく、殴られたスクアーロが床で気絶して伸びているほうが多かっただろう。

「重くない?」
「重い」
「俺が来ても起きないなんてセンパイ、気が緩みすぎてんじゃね?」
「起こすと煩いからかまうな」
「そりゃそーだね」

そう言って、ザンザスはふうっと小さくため息をつく。書類を机の上に置き、肩に回っていた腕を伸ばし、椅子を引いて少し回す。そのひょうしにがくっと揺れる頭を右手で支え、腰を上げて膝の上の、薄い体をそこからずらす。

「手伝おっか?」
「おまえが触ると起きる」

あーそう、と思いながらベルフェゴールはそれを眺めている。眠っているスクアーロを起こさないようにと、ボスの手は静かに丁寧に、スクアーロの肩を抱いて足を揃え、体を沿わせて抱き起こし、そのままぐっと抱きかかえて立ち上がる。
眠れる姫を抱き寄せる、騎士さながらの丁寧さで、ザンザスはスクアーロを抱き上げる。スクアーロは目が覚めない。
肩に乗せた顔はいたって普通の表情、苦悶に歪んでもいないし泣きそうでもない。
そのまま部屋の中央のソファセットへそっと、スクアーロをおろして寝かせる、その仕草はまさに童話の中の王子そのもの、優雅で丁寧な手つきに滲む愛の気配を、なだめるように見つめるボスの表情を、眠っているスクアーロは見られないのがもったいないほどだ。

「よく寝てるなー」
「二日まるまる追跡してたからな」
「ひょー♪ そりゃすげー」
「まだ余裕があったが、とっとと帰ってきやがった」
「なーる」

ソファにおろしたスクアーロの上で、ひそやかに会話が交わされて、そうしてザンザスは毛布を取りに部屋を出る。その間これを見ておれと、言いはしないが背中が語る。
王子は黙って白い顔を見下ろす。すうすうと眠る、やけに綺麗に整った顔は、目を閉じて声を出さなければ、本当に人形か何かのよう。生きているようにはとても思えない。

人形が人間になった数年前の秋から冬、それから少し、この時期は、なんだか少しスクアーロは不安定で、やたらとザンザスにくっついていたがるようになるのだ。
11月も終盤になれば、ノエルのための雑事がやってきて、それ翌月にむけてそれはそれで忙しくなるのだけれど、その少し前、嵐の前の静かな一瞬、秋の終わりに少しだけ、スクアーロはおかしくなることがある。軽い不眠と食欲不振と一緒にやってくるそれは、長い長い冬の時代の置き土産だと、王子もボスもわかってきている。無意識にする行為の理由は、まだ頭が理解していないという証拠。
夜はずっと眠っているザンザスの顔を眺め、アジトにいる昼は、用もないのに執務室で一日、ザンザスの仕事を眺めてすごすことがある。これでも毎年、少しずつ、少なくなってきてはいるのだろうけれど。

「なんだかさぁ」

毛布を持ってきて、それをすうすう寝こけているスクアーロにかけてやっている、そのボスの表情を、ああもうなんでスクアーロが見てないのか、王子は少しじれったくなってしまう。王子が見るにはもったいないほどの、それは甘くて喉を焼く。

「……スクアーロがそーやってボスにひっつくと、あー冬になるんだなー、って思うんだけど」
「…違いねぇ」

笑いを飲み込んでザンザスが答える。ベルフェゴールと目が合う。互いに少し、笑ったような、笑わないような。

「よくセンパイ叩き落さないね、ボス」
「暖房変わりにはなるからな、これでも」
「ふーん」

そういうボスの視線も緩く和やか、目を細めてソファで眠る、恋人を見守る眼差しはどこか、知らない大人の風情が漂う。

「次の仕事なんかある?」
「来週からまたAランクを入れる。同時に二本だ、嬉しいか?」
「げっ、なるべくならめんどくさいくないのにしてよ」
「詳細はまだだが、決まったら呼ぶ。それまで待機」
「はーい。じゃーねー」

ひらひら、手を振って王子は部屋を出る。最初から最後まで、スクアーロはまったく目を覚まさず、安心してすやすやと眠り続けていたことに、暖かくてふんわりした気分になったり、ちょっとちりちりと胸が焼けたりはしたけれども。

「あー、寒くなるのヤだなー」

廊下の隅にも寒気は忍び込んでいる。天井の高い石つくりの城は、分厚い壁と小さい窓のせいで、元からそれほど寒暖の差が激しくないけれど、さすがに冬は寒さが応える。それでも今出てきた部屋は、暖かく優しい空気で満たされているようだけれど。
ここ数年、ボスと副官の関係はすこぶる良好だ。相変わらず喧嘩も怒鳴りあいもするけれど、同じくらいキスをしたり抱き合ったり見つめあったりしているので、おおむねうまくいっているようではある。
ただ少し、秋から冬には二人して、感傷的になることがあるようではあるが。

そーゆーの、愛で治すしかないってゆーし?

さーてディナーにちゃんとしたセンパイが出てくるかどうか、賭けてみよーっと。
俺はどっちかな。
寝て起きていつものうるさくて騒々しいセンパイか、それとも足元がおぼつかないお色気タダ漏れなセンパイか。

そんなことを考えながら、王子は談話室へ足を向けた。

遅れた…!
いい夫婦の日ってことでひとつ!
2010..11.23
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