四日目の睡蓮
ヴァリアーのアジトの中庭には池がある。


元はもっと小さな噴水だった。毎年少しづつ大きくして、今は中庭の半分はそれで埋まっている。
別に何か用があって使っていた場所ではなかったから、別に問題はないのだけれど。




今年も花の季節が来る。




池は意外と深く、雨の少ないこの地方では最高の贅沢品だ。
中にはびっしりと睡蓮と蓮が植えられている。
春に芽を出し、初夏に葉を茂らせ、そして夏中花を咲かせる。
イタリアではそれほど珍しい花でもないけれど、この暗殺部隊の屋敷には、あまりにもそぐわないものだ。
中庭の池はヴァリアーの、どこの部屋からもよく見える。見えるように作ってある。
睡蓮も蓮も、夏の午前中にしか咲かない花だ。暗殺部隊にはそぐわない花。
泥の中に身を沈め、冬は枯れたようになっていても、春になれば葉を茂らせ、水面を覆いつくす。

そんな花を、ヴァリアーの王は何よりも愛でている。






今年も睡蓮の花が咲いた。


初夏の甘い風が、閉じた部屋の中にまで忍び込んでくる季節。
長い夏の日の始まり、朝の白い光の中で、闇夜を跋扈するはずの暗殺部隊の王は、その花を愛でるためにべランダで朝食を取る。
昼の仕事もそこでする。雨が降らない限りはその場所で、池を眺めながら半日過ごす。
午後になって花が閉じてしまうと、興味がなくなったとでもいうように、部屋に引っ込んで窓の外を見もしなくなる。


王様は半分は現世に足を置いているが、半分は彼岸に足を踏み入れている。
十年前にあちらに行ってしまった彼の青春時代の遺産が、彼の一部をそこに引きずっていってしまったからだ。
青春時代の遺産は大きな負荷だった。
けれども、それを失った暗殺部隊の王は、自分がいかにこの現世に未練がなかったかということを思い知った。
思い知らされた。
王は何も手に入れられなかった。
本当に王には何もなくなってしまったのだ。



暗殺部隊の王は、その暗殺部隊の持ち主の息子だった。息子だと思われていた。
父は自分の行いが、義理ではあるが息子をいきどおらせたことに気がついていた。その関係をなんとか修復しようと試みたが、残念なことに、息子の魂は半分、その失われた青春の遺産が、あの世に持っていってしまったようだった。
彼の青春をまるごと引き受けて、凝って凍って冷たく強く、八年の間を彼を待っていた銀色の魚は、海洋の王の名を持っていた。鮫の一噛みは鋭い牙と丈夫な顎で、息子の魂の、一番やわらかいところ、一番弱いところを齧ってしまった。

「ザンザス」

父は何度も子供の名を呼んで、彼を現世に引き戻そうと、息子に暖かい家庭や、心安らぐ生活を与えようとした。
けれど息子は半分彼岸に足を踏み入れてしまっていたので、現世の楽しみや幸福は、彼になんの意味も与えてくれはしなかった。彼はそれをひとつも満足に受け取ることが出来なかった。

とても大きく、魂をえぐりとられてしまったので。






睡蓮の蕾はあるとき、ふいに水面に浮かんでくる。
細い首をすらりと伸ばして、白い蕾を水面に出してくる。
それに王は、ザンザスはある朝突然気がつく。
蕾は白く、ほっそりとしていて、先端が少し黄色くなっている。
開くともっと淡いクリーム色になる。中央の蘂は鮮やかなオレンジ。
そんな小さい花が、晴れやかな初夏の朝、緑の水面の中で鮮やかに咲く。ここにいるよと訴える。
色の関係で、水面に花だけ、ぽっかりと浮かんでいるように見えている。光を浴びて、それがきらきら光る。鮮やかに。
そして午後になると閉じる。ひらいた花びらをそっとしまう。
まるで今朝咲いたことなど嘘のように、おとなしく佇んでいる。ひっそりと、うつくしく。

けれどまた朝になるとそれは花を咲かせる。鮮やかなクリームイエローの花びらが、瑞々しく水面を彩る。
静かなふりをして、案外自己主張が激しい花。
色は派手でもないのによく目立ち、なのに可憐で瑞々しい。
睡蓮は、水面を覆う葉の下、濁った水のその中で、縦横無尽に根を張っている。
愛らしく清楚でうつくしいふりをして、非常に繁殖力が強く、湖水に繁茂すればたちまち、在来種を駆逐してしまうほどの力を持っていることを知るものは多くない。

それはどこか彼の人の姿に似ている。

ザンザスがそれを思って、中庭にそれを植えているのは間違いないと、幹部は皆思っている。
だがそれを確かめた人間は誰もいない。

それを口にすれば、明日の花は拝めない。



睡蓮の花は四日ほど、毎日そうして花を開かせる。
しっかりと花びらを開き、水面に顔を出して、きららかに咲いて、そして終わる。

終わった花は静かに水面に落ちて沈む。















今年も睡蓮の季節が来た。



中庭の池は冬の間は水を減らして、夏の間に繁茂した茎を取り除き、根元に栄養をやることになっている。
池の花が終わればザンザスはこの世界に戻ってくる。
ザンザスが八年ぶりに世界に戻ってきた日、九月の九日を過ぎれば、あれほど睡蓮に、蓮に執着していたザンザスは、そのことを忘れてしまったように池を見なくなる。ベランダにも出なくなる。窓の鍵を開けておかなくなる。朝早く起きて花を見ることなどしなくなる。
来年の春になるまでは。


その半年がちょうど半年、あの男、水に沈んだあの男、白い肌の銀の髪の、声の大きなあの男とザンザスが、過ごした半年にちょうど重なるのだと、幹部が気がついたのは、争奪戦の少し後のことだ。
負けたザンザスもヴァリアーの幹部も、皆何もなかったかのようにイタリアに戻って、何もなかったかのように再びヴァリアーとしての役目を負うことになった。
何もなかったかのように、副官が水に沈んで、落ちてしまったこともなかったかのように、彼らは今までの仕事に戻り、今までのように仕事をした。
八年、その世界から遠ざかっていたはずのザンザスも、何もなかったかのように仕事を始めた。

何もなかったかのように。





けれど王は半身をなくした、記憶をなくした、感情をなくした、思い出をなくした、魂をごっそりえぐって持っていかれてしまった。
鮫の牙は鋭いのだ、一口で身を噛み切ることなど、それはとてもたやすいことだ。
そのうち半分だけではなく、全部持っていかれるのではないかと、そんなことを時折考えるほど、王の中身は空っぽだった。
それは一年でも埋まらず、二年でも増えはしなかった。
三年が過ぎるころ、父はザンザスに女をあてがった。
断わる理由がなかったので、ザンザスはすすめられるままに結婚した。







今朝、ザンザスは三人目の妻を殺した。




中庭の池を眺めるザンザスに、それを止めろといったのだ。

そんなものをいつまで見ているの。私を見て。お願い。
……が出来たのよ。来年の……………れるの。
いつまでそんな昔の、


そんなことを言う女に、ザンザスは軽く手を上げた。
横に一回、薙ぎ払った。
重い音が一回、部屋に響いたと思ったら、女は動かなくなった。
おかしな形に首が曲がっていた。
少し力を入れすぎたようだ。ぶすぶすと女の横顔がくすぶっていた。
どうせならもっとちゃんと焼けばよかったと思いながら、ザンザスはなんの感情もない瞳で女を眺めた。
三年持った。今度の女は長く持ったが、最後はみな同じことを言う。
ザンザスが庭を見ているのはいつものことだ。
それを責められるいわれはないと、ザンザスは濁った目でそう思う。

中庭の池には、ザンザスの二人の妻が沈んでいる。
白く綺麗な骨になって、いやもう骨も腐ってしまって、睡蓮の花の肥料になっているかもしれない。
そこに三人目の妻を沈めなくてはならないことに、ザンザスは少しうんざりした。
けれど次には、これで来年も綺麗な花が咲くかもしれない、と思い直した。
睡蓮の花は最初はもっとクリーム色の、黄色に近い色だった。
けれどそれはいつしか、抜けるように純白に変わってしまっていた。
そのうち銀色になって、光り輝くのではないかと思うほどには。

内線の電話を取る。部下の名前を呼ぶ。部屋のゴミを片付けるように言う。
電話を置けば、ザンザスはもう、部屋にたちこめる匂いが何の匂いだったのかを忘れる。




今朝もザンザスは早く起きて、ベランダに出したテーブルで朝食を取っている。
サングラスの下で、赤い瞳がうっとりした眼差しで、眼下の池を眺めている。
池には今朝も、いくつもの睡蓮が咲いている。
葉の間に花だけ浮いているように、はっきりとザンザスの目に入ってくる。
鮮やかな白い花、朝の光を反射して咲き誇っている。
それだけがザンザスの視界にある色だ。


ザンザスは口の中でその名前を転がす。
誰にも拾えないその名前を。

誰もがザンザスは半分狂っているという。
暗殺を生業とし、大ボンゴレの汚泥をすすっているヴァリアーの王が、多少狂っていても何の問題があるというのだろうとザンザスは思う。

キチガイの国にキチガイがいて何が悪い。

ザンザスの耳の中ではいつも声が聞こえている。

大きな耳鳴りのような叫び声が。

それがいつもザンザスの耳の中で響いていて、だからザンザスはその声の聞こえている間、此の世ではない世界にいる。

その世界には誰もいない。







ザンザスと、―――――だけがいる。








咲いて四日の昼が過ぎる。
また今日も睡蓮が水に沈んでゆく。

銀の髪が翻る。
水しぶきが視界を塞ぐ。
大きな魚が跳ねたあと、こぽりと水面に血が浮かぶ。
そうだあれも四日目の夜、始まって四日目の夜のことだ。

四日目の睡蓮が水に沈む。
それは何かを思い出させる。
歪んだザンザスの唇は、笑い声に似た何かを吐き出そうとする。
なぜそうなるのか、ザンザスにはわからない。







耳の中で彼を呼ぶ声が、どんな言葉を叫んでいるのか、もう、わからない。


















Amare∞TiAmo「ザンスクパラレル企画」に提出した作品。タイトル入れ忘れちゃいました……。
庭の昔のお風呂に睡蓮を植えているんですが、それが本当にこんな感じです。
死ネタはあんまり書きたくないなぁ…と思ってたんですがとうとうやっちゃいました。

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