ビアンキと山本の鎮静の炎で、相当の重傷だったはずのディーノもスクアーロも指し当たっての痛みという、最大の体力消耗アイテムを取り除くことができた。
痛みがなければ動ける。
血が足りないのは山々だが、痛みがなければ動くことに支障はないし、回復も早くなるというものだ。
「行くぜ!」
ディーノがスクアーロの体を引く。
左手の先がないのでバランスがおかしいスクアーロは、それでもすばやく立ち上がる。
血にまみれた隊服ににじんだ汚れが乾いてぱらぱら落ちる。
「ちょっと!」
二人は怪我をしているはずなのに、まるで飛ぶように走ってゆく。
それに気がついて草壁が顔を上げて走ってゆく。理由など聞かないのは、流石に雲雀に十年仕えているだけのことはある。
ロマーリォがそれに続く。ビアンキはそれを止めようとはしない。
止めたって走ってゆくに決まってる男に、声をかけるなんて無駄なことだと知っているからだ。
戦場の匂いに肌が沸き立つ。
白銀の騎士と黄金の王はどちらも、戦場を走る事を厭わない。
戦況を見回して状況を把握するより先に、圧倒的な存在感が押し寄せてくるのを、肌の痛みで感じた。
「…ッ!」
黄金の王は息を飲む。
ディーノは本気のザンザスが、どれほどの力で戦うのか知らない。
見たことがあるのは十年前、夜の中学の校庭でだけだ。
あの時は隔離されていて、ただ見ることしかできなかった。
今日は違う。あの時はこちらの安全は最低限確保されていたが、今日はそんな場所ではない。
ここはもう戦場、一続きの世界の先端だ。
その中で閃く七色の炎、見たことのない紫の炎が揺らめき、先を走っていた青の光が立つ。
血の匂いがたちこめる。
人だけでない獣の匂い、肌がこげる匂いと乾いた体液の匂いまでが漂う。
異形の物体が放つ光で樹木が焦げる匂いがする。
「なんだあれ…?あれが…?」
「ボス」
肩を貸しているのでひどく近くで声がする。
なんで、とディーノが驚く。
けれど白銀の騎士は――スクアーロは、戦場の最中にも主の匂いを嗅ぐのを忘れない。なんという嗅覚だろう!
「いる!」
ぐい、と先に走る体を支えて、二人はほとんど走っているようだ。
互いに重傷を負っているが、痛みがないし傷がふさがれているので、走るのにも支障がない。
「ちょ、スクアーロッ」
「見ろぉ」
顎で示された前方に上がる炎。
赤とオレンジの混ざった、特色のある炎に包まれて、長身の黒と白が宙を舞っている。
両手に握った銃から放たれる、溶かした溶鉱炉の中身の 金属に似た炎が、半透明な人体を狙うが、それを通り過ぎて外れ――炎が失われ、光の彩度が落ちるのを見る。
この場に自分たちが向かう 理由などない。
戦力になるかどうか、と思えばそれはあまり、益ではないだろうとは判っている。
判っているが、遠く離れた場所にいることなど、到底耐えることなど出来ない。
出来っこない。たとえ見届けることしか出来なくても、それの役目しか持てなくても、それでもいい。
そこにいたい、それを見たい、傍にいたいという欲求には逆らえない。
炎圧で肌が焦げる。
白銀の髪が翻る。
破けた服に触れた肌がひりひりする。
戦場が目の前に迫る。
うかがうことなど思いもよらぬ、満身創痍の騎士が向かう。
赤眼の王が視線を寄越す
――ディーノはこの十年、ザンザスのそんな焦っている顔を見たことがなかったことに、その時初めて気がついた。
戦場に立つザンザスを見たのも本当に久しぶりだった――炎を背景にたつザンザスの、その王者の存在感と言ったら!
「遅えぞ」
ちらりと一瞥、見下ろした目線には、秘める気などさらさらない、むき出しの熱量があふれている。
戦場で部下を鼓舞する王の、圧倒的な存在感。神や天使を代弁するとされるほどの――その殺意、熱意、猛る意思。
「ぐっ……」
誰 にも膝を折らず、怖けることもなく、恐れも、ためらいも持たない騎士がひるむのも、ディーノはそのとき初めて感じた。
それこそもう十八年の昔、ともに学んでいた学者を飛び出す翼を得て、当時のディーノには一足飛びにわからない存在になってしまったスクアーロが、どうしてザンザスにひれ伏したのが、今この瞬間、ディーノには判ってしまった。
これはひれ伏さなくてはならぬ、王の力だ。
「悪かったなあ」
背後でくすぶる炎の色より鮮やかな瞳に見下ろされて、ただ息を飲むしかなかった。