春は名のみの

山が全部白い。

「すっげぇなぁ!!」

視界一面を覆う白い世界の中で、それよりもずっと白い肌と髪と目をした男が叫ぶ。

「これ全部梅かぁ!?」
「そうらしいな」

レンタカーを借りて、北西に向かって一時間ほど、カーナビの案内は眠くなるほど何もない。
山に入る道には看板が立っていて、観光バスについて登っていった先の、山がまるごと、白い花で埋まっていた。
谷から尾根から窪地まで、斜面に全て、どこまでも続く、一面の白い花。
風にのって、ふんわりと甘い香りが漂う。早い春の花は匂いが強い。
昔はこの香りが尊ばれ、さかんに花見をされたらしい。

「ちょうどよかったな、満開だ」
「すげぇなぁ」

山を覆う一面の梅は、もともとは梅の実を出荷するためのもの。
数十年前から地元では、隠れた梅の花の名所として有名だったが、知名度は今ひとつだったという話だ。
最近、こんなにたくさん梅がある場所はないと、観光に力を入れているせいで、遠くからも多くの人がやってくるようになったという。
確かに道はまだ新しく、看板も、建物も真新しい感がある。

しかし花は見事の一言、樹齢もすでに数十年、梅は桜よりずっと長生きする樹木であるから、勢いがあるのは確か。
それに果実をとるための梅林であるから、どの木もそれほど樹高が高くないのがよかった。
どの枝も視線の少し上の高さで、咲き誇る満開の梅を、見上げなくとも存分に、堪能することが出来るから。

「すげぇなぁ!」

さっきからそればかり、繰り返す男は花ばかり見ている。
そのうち転ぶんじゃないかと思うけれど、そんなことになるわけもない。
確かに年齢は重ねたけれども、身体能力は三十代のレベルなのだ。
来る途中、珍しく車のラジオをつけたなら、ちょうどいいタイミングでこの梅林のことを言っていたのに驚いていた。
窓を開けるにはまだ寒いけれど、暖房を入れる必要がないほど明るい日差しの中、のどかな田園を車で走る。
今日はザンザスがハンドルを握った。

晴れていればどんな旅行もいい旅行だ。

春の日差しの中で、白い鮫はキラキラ光ってご機嫌だった。寒い日が最近ようやく緩みはじめている。
普段と変わらぬようでいて、寒いとかすかに腕が痛むとこぼしていたから、温度が上がるとかなり機嫌がよくなる。
スクアーロは脂肪がなくて筋肉ばかりなので、動けばすぐに暖かくなるようだが、冬はどうにも体が冷たいようだった。
冷えた手足は氷のようで、ベッドの中でさすってやると、すぐに暖かくなるけれども、それまではとてもではないが、生きて血が通っているようには思えない。
今日はそうでもない。
さっき触った指先はほんのり温かく、撫でた額はかさついてもいない。
今日もスクアーロは元気で綺麗だ、とザンザスは、数十年思っていることを今日も確認した。
それは本当に毎日の朝の洗顔のタオルのよう、食事の最後に飲む一杯のカフェの味を、いつもと同じだと確認するようなもの。
習慣という言葉でいいあらわすことが出来るようなものだ。

「まだ寒いよなあ」
「山の陰になってるところは、まだ全然咲いていないようだな」
「南側はもう散ってるぜぇ」

駐車場に車を入れて、山の上の公園まで歩く。
遊歩道は整備されているが、梅が植えられているのはそのまま個人所有の畑らしい。
間で農作業をしている人の姿も見えるし、軽トラックが遠くの作業小屋の脇に止まっているのも見える。
これはいいなと思った枝の木の前には必ず三脚をたてているアマチュアのカメラマンがいて、日本人は本当に写真を撮るのが好きなんだなあ、などと話しながら歩いた。

「あんたがこういうの好きだったなんて知らなかったぜぇ」
「あぁ? こういうのってどんなんだ」
「花を見にわざわざ車を出そうとかするのかってことだぁ! そのために丘を登ろうとかするってのも含めてだけどよぉ」
「丘だと?」
「あそこに案内板があるぜぇ。山の上の広場まで、結構あるみてぇだけど」
「なんだと」

二人して立ち止まる木の板の前には、広場を含む山一帯の散策路が示してある。
見ればコースはウォーキングの絵が描いてあり、距離は普通にキロで表示されているようだった。

「公園まではそんなでもねぇだろ」
「歩くかあ?」
「花があるなら気がまぎれる」
「…あんた、そういう趣味だったのかぁ?」
「知らなかったか?」
「知らなかったぜぇ!」

そう言って驚いたような顔をする、小さい額を軽く小突く。
痛ぇじゃねぇかぁと言いながら、目元が緩んで柔らかくなるのを見る。
広場までは距離があったが、道は整備されていて、ところどころで谷が切れていて、その向こうにずっと、白い絨毯のように花が続いている。
二人の足は速い。先に駐車場に入った団体に途中で追いつき、広場の店を冷やかしている間に追いつかれ、山を降りる途中でまた追い抜かした。
ザンザスは竹ザルとキノコを二種類買い、スクアーロは花の苗を三つと干した豆と菓子を買った。

「いー気分だぜぇ…」

うなじに一まとめにした髪が湯につきそうになるぎりぎりまで沈んで、ふにゃふにゃになった顔から、普段よりずっと静かな声が吐き出される。

「悪くなかった」

ふうっと吐き出す吐息も熱い。ザンザスは肩まで湯から出していて、露天の岩場の一番奥に、ふんぞりかえって座っている。

さすがにまだ外は寒いとみえて、露天にいる人の姿はまばらだ。
少しつかってはすぐに、中の湯で体を温めている様子が見える。
まだ日が高いせいか、子供もあまりいない。
二人はその体の全身を覆う凍傷の跡や、鮫に齧られた跡が多く残っており、湯に入るとそれが、血が巡って少し浮き上がって見える。
そうなると、何も知らぬ子供がしょっちゅう、体に触れたり、声をかけてきたりする。
今日はそういうことがないので、二人して、ゆっくり外の、露天で景色を眺めながら、何を話すでもなくただ、だらだらと入ってる。

「これでここのメシがうまけりゃ問題ねぇなぁ」
「んなんでいいのか?」
「ん? メシ食っていかねぇの?」

額に乗せていたタオルを手にとって、スクアーロが湯の中を泳いでザンザスの元に近づいてくる。

「このままメシ食って帰ろうぜぇ、そうすりゃすぐ眠れるだろぉ」
「それでいいのか」
「…? なんかあんのかぁ?」
「もうちょっといいとこでメシ食わねぇのかって聞いてるんだ」
「口にあわねぇかぁ?」
「奢ってやるって言ってるんだ」
「なんか行きたいとこがあるのかぁ?」
「おまえを連れていきてぇんだ」
「……? 好きなところに行くぜぇ」

ザンザスの言葉の意味を解さない男は、ザンザスの言うままに肯定の意を示す。
たぶん意味はわかっていないだろうな、とザンザスは考える。
スクアーロが自分のことに疎いのは、もうこれはしょうがないことなのだと、ザンザスはすでにとうの昔に諦めている。
それにこんなことを、今でもちゃんとしたいのは、これは自分の一生の道楽なのだということも。

「髪洗ってるぜぇ」

そう言って風呂から出て行く背中を眺めながら、耳たぶが少し赤いのは、湯につかりすぎたせいなのか、それともそれ以外の意味なのかということを、ザンザスは少し考えた。考えたが、どちらでもかまわないのだと理解して、先を考えるのをやめた。
風呂から出て、助手席に綺麗に洗ったアレを乗せ、予約していたレストランで誕生日の祝いを告げ、好きなものを食べさせるのだ。
そうしたら、後は家に戻って、スクアーロを食べればいい。
淡いほのかな梅の香りが移って、さぞおいしくなっていることだろう。

 


2010..5.15
「まちでうわさのおおきなおうち」番外編。HARUシティ終わってから書いた鮫誕ネタ。遅すぎる(笑)。
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