八百万の神の御許に
「こんなところになんかあるぜぇ」
「ああ?」
「なんだこれぇ…男と女かぁ?」

高原の避暑地は今はオフシーズン。雪は降らないがとにかく寒い。まだ平地は秋だがここはすでに冬の様相を呈していて、朝晩は本当に、寒い。霧がまくことも多く、夏の騒がしさとは打って変わって、静かで落ち着いていて人が少なくて、湿っぽい。
白樺の葉と落葉松が葉を落とせば、すぐに冬になるだろう。
昨日は運悪く日曜に重なってしまったから、ホテル近くの道がおそろしく混雑していた。併設のショッピングセンターが話題になっているらしい。

二人が宿にしているホテルは少し離れた古い建物で、避暑地の中では一等伝統と格式のあるレンガ造りの本館の玄関は、文化財の指定を受けている。確かにどこか懐かしい趣、異国の地にあることを一瞬忘れる懐かしさがある。
夕べは久しぶりに何もせず、ただ抱き合って眠ったから、朝は早く目が覚めて、誘われるままに外を歩いた。首が寒いと昨日買ったマフラーが思ったよりもずっと気持ちがよくて、赤い瞳の男が笑う。
腰で歩く異国の歩き方がひどく目立つ、まだ寒い高原の朝は日差しがなくて薄暗い。霧が巻いている場所があるせいか、現実感が乏しい。

「日本はやたらと道の脇にこーゆーもんが置いてあるなぁ? なんだぁ?」
「ドーソジンってやつじゃねぇのか」
「ドーソジン? ああ、これがそうかぁ!」
「知ってんのか?」
「どっかの温泉でそんな話を聞いたんだぁ、ここいらにはあるって。なんでも夫婦がなかよくしてるつー神様なんだとよ」
「これは男と女なのか?」
「セックスしてるとこなんだって話だぜぇ」
「はぁ? そんなもん道端に飾っとくのか?」
「なんだっけ、えーと、食いもんがうんと出来ますようにとか、健康で長生きできますようにとかいう願いごとをかなえるらしいぜぇ」
「こんなんのがか」
「そうらしいぜぇ」
「夫婦ではセックスしねぇ国なのに、こういうもんがそこらへんにあることには頓着しねぇんだな」
「隠すようなもんでもねぇんだろー? ローマ神話だってなんにでも神様がいるんだからよぉ、一緒じゃねぇ?」
「そうなのか」
「ちゃんとなんかお供えしてあるぜぇー? 食いもんか? 獣に食われねぇのかぁ?」
「……おもしれぇな」

しばらく道端の小さな石を、銀の瞳の男が見ている。後ろでそれを眺めている赤い瞳の男が、その小さい後頭部をじっと見ているのは、傍から見ればさぞ、不思議な眺めだろう。

「とりあえず祈っとくかぁ!」
「おめぇも物好きだな」
「あんたもやれよぉ」
「神式でいいのか」
「いいんじゃねぇの」

二回軽く手を叩いて顔の前で手を合わせる。しばらく目を閉じて頭を垂れ、すぐに直ってくるんと、赤い瞳の黒い髪の男の前で、長い銀の髪が翻る。

「もう少し先まで行くかぁ?」
「そうだな」
「寒くねぇ?」
「俺はおまえの格好を見てるほうが寒ぃ」
「別に寒くねぇぞぉ?」

さくさく歩く銀の髪の下にはシャツにフードがついた上着にチノパン、対して黒髪のほうは薄いセーターとマフラーまで纏っている。寒いのか、手がパンツのポケットから出てこない。

「ザンザスの手は冷てぇなぁ」

そういいながら、ポケットの中の手を引きずり出して手を繋ぐ。確かにスクアーロの右手はひどく暖かくて、握られていると掌の深いところに火がともるように感じられる。

「おめえの手はガキみてぇだぜ」
「なんだよ! 悪かったなぁ!」
「別に悪いとは言ってねぇ」
「……そうかよ」

湿った朝霧が少しづつ晴れてくる。霧の中を泳ぐように、二つの影が歩道を歩く。ホテルや旅館に荷物を運ぶ軽トラックの音と、少し離れたバイパスを行く、大型トラックの音だけが、空気に包まれて何かの音楽のように聞こえる。

繋いだ手の間でカチカチと、互いの薬指の指輪が触れて音を立てる――心臓の鼓動を刻むメトロノームの響きにも似て、足音と重なればそれは、――それは。

「…朝飯のメニューなんだろぉなぁ」
「おまえはそればっかりじゃねぇか」
「日本の朝飯うめえんだもんよぉ! …でも俺絶対太ってるぜぇ」
「かもなぁ。少し腹のあたり柔らかくなってんぞ」
「マジかよ」
「そのほうが抱き心地はいいがな」

そんなことを言いながら歩く。
二人で歩く。
同じ道を歩く。
一緒に歩く。
並んで歩く。

唯一の神は認めないかもしれないが、この国は八百万の神がいる。土着の神は否定しない、人の願いをただ受け止める。信仰だけが力になるから、信じられればなんでも、神になれる国なのだ。
ともに歩くことを選んだ異国の恋人たちを、道端の道祖神はそっと笑って祝福した。
異国の石の塊にさえ、互いの幸を祈るなら、寿ぎは降り注ぐことを良しとするだろう。きっと。

怒れる山はいまだ噴煙を吐き続けている。
霧がようやく晴れて、木立の向こうにホテルが見えてきた。




2010..2.22
「全時代的目撃談」後日談みたいな話。ミヤマさんの誕生日に寄せて。
ブログ掲載は2009年6月20日
Back  
inserted by FC2 system