MyFirstTime・1
 
夏が終わるのを初めて実感した。

朝起きたときに空気が冷たくなっていることに気がついたのは、そういえば初めてだったような気がした。
おかしいな、この城に住み始めてから、もうだいぶたつというのに、そんなことに気がついたのは初めてだった。
去年も一昨年も秋が来た。そのはずだった。そうだった。…そうだった? 記憶にない。全然なかった。
スクアーロはめんどくさそうにベッドから出た。広いベッドは空っぽだった。
夕べ記憶がなくなる寸前に見た男はすでに起き上がっていて、浴室で体を洗っていた。
主の目覚めに気がつかなかったのは失態だった。護衛の意味がない。
誰の気配もないことを感じて身を起こす。カーテンは引かれていて、すでに朝の光が満ちていた。
夜も遅かったというのに、本当に彼のボスは勤勉だった。
窓の外の緑が少し色が薄くなっていた。今年は冬が遅いと聞いた。
ローブのヒモを結ぶと少し体がかしいだ。夕べは少し張り切りすぎた。自分ではなくて、ボスが。
最近ザンザスとの夜は濃厚過ぎて、翌日の疼痛がいつまでも去らない。
乱暴なのとは少し違う、やけにしつこい愛撫と動きが体中に染みこんでいることを感じるのは、どこか具合が悪い気分がした。

「なにぼけっとしてるんだ」
「シャワー借りるぜぇい」
「勝手に入るな、馬鹿。おめぇが使うとシャンプーが早く減ってしょうがねぇ」
「おまえが補給するんじゃねぇだろ」
「うるせぇ」

投げつけられたタオルが頭にぶつかる。ため息をつきながらそれをランドリーボックスに放り込んだ。
とっととシャワーを浴びないと何をされるかわからない。
体中に飛び散った唾液や精液や汗や涙を洗い流すとだいぶさっぱりした。
鏡で見ると派手に柄がついた自分の体が見えた。
なんだかなぁ。どうなんだろうなぁ、こういうのはなぁ。本当はよくないことなんじゃねぇのかなぁ。俺にとって…という意味じゃなくて、ボスさんにとって、あんまいいわけじゃねぇんだと思うんだが、…人の忠告なんざ、聞いたことがない人だからなぁ。
まぁ、ボスさんが気分がいいならしょうがねぇ。
スクアーロは少しだけそう考えて、すぐに髪を乾かし始めた。
これが一番時間がかかる。湿ったままでも構わないのだが、とにかく濡れたままでいるとうっとおしい。そしてそのままでいると、彼のボスがシーツが濡れるだのシャツが濡れるだの、気持ち悪いだの毛先が痛んで掴みにくいだの、どうでもいいようなよくないようなことを言いたがるのだ。

「出たか」
「あ゛、あ」

珍しくシャワー室に顔を突っ込んで様子を聞いてくるのに、顔を上げて答えた。

「なんだぁ?」

様子だけ見るとボスはすぐに消えてしまう。スクアーロは微妙におかしな動きでそれに付いて行く。
寝室からクローゼットの前を伺えば、すでに主は服を着替えていたようだ。
足音だけが先に行く。
寝室のあちこちに散らばった服を探すのは面倒だったが、シャツとパンツだけは見つかった。
上着を手にして後に続く。シャツのボタンが珍しく残っているので嵌めた。腹が出るのが少し寒い。
髪の雫は肌に落ちるとさすがに寒かった。

「資料が変更になった。これだ」

ボスから資料が渡される。ぱらぱらめくりながら確認して、準備のために部屋に戻ることの了解を得る。
ザンザスはすでに執務室の机の上を眺めて、うっとおしそうに顔を歪めていた。

「ボス、いっぺん部屋に戻りてぇんだけど」
「腹が減った」
「あ゛? あー、……メイド呼べよ」
「待ってるのが面倒だ」
「…なんかあるのか?」
「知るかカス」

髪を拭きながら備え付けのキッチンへ向かう。
パンとオリーブオイル、モッツァレラチーズとクリームバターは入っていた。
調味料の棚を探ると、バジルペーストとドライトマトが残っていた。
パンを焼いて湯を沸かし、クリームバターを練ってバジルペーストを混ぜる。バターに刻んだドライトマトとモッツアレラチーズを入れた。
ハムがあればもっといいんだが、後で入れて置くように言っておこう。それとも取りに行くか…いや、そんなことをして待たせたらまた機嫌が悪くなる。空腹にもなるだろうよ、あれだけ運動すればいくらボスでも疲れるだろう。後始末をする体力があの状態で残ってるあたりが化け物だとは思うが。……なんだか思い出すと背中がぞわぞわする。
混ぜながらディップの味を確かめる。口が開いていたので変質しているかと思ったがそれは大丈夫だった。前に使ったときから量は減っていない。味にも変化はない。酸味が強いと異物が入っていても気がつきにくいので、スクアーロはあまりそれが好きではなかった。自分で食べるときは別だが、毒見には酸味と甘味がもっとも危険度が高い。どちらも目先の味にだまされて、混ざったものの味が区別できないからだった。

「できたぜぇ」

コーヒーを入れてトレイに載せ、ソファの前におく。足を組んでソファの背にもたれていたザンザスがゆっくりと目を開けた。
そんなに眠いなら、あんなに熱心に夜の運動しないでとっとと寝ればいいのだ。
溜まっていて眠れないのなら、あんなにしつこく胸を弄ったり舐めたり齧ったりしなければいいのだ。
口でも手でもいくらでも抜いてやれるのに、なんだってこの男はあんなにしつこく自分を弄繰り回すのだろう。

「馬鹿の一つ覚えだな、まったく」
「なんもねぇんだからしょうがねぇだろ」

何もいわずにバターを塗っていたナイフが飛んできた。あっぶねぇ。後で拾うのがとにかく面倒だ。
バケットはぱりぱりに焼けていた。今日は成功だったな。
ザンザスはそれにオイルを垂らし、ディップを塗る。
完璧に教育された上流階級の動き。
太くて長い指がひどく繊細にそれをする。かじりつく仕草すら優美で美しい。
目の前のソファに座って同じようにパンを受け取って齧る。
自分で焼きながらうまく焼けたとスクアーロは思った。
毒見のために焼く前に齧ったのだが、やはり焼いたほうがうまかった。
山盛りに焼いたバケットはあっという間になくなった。食器をキッチンに出して洗う。

冷蔵庫の中身の補充は掃除に入ったメイドがすることもあるが、ザンザスは私室に他人を入れることを好まない。
暗殺と殺人と毒殺に彩られた歴史はここにも存在している。
急に養子に入った子供に向けた視線は媚びやへつらいばかりではない。
長じるにつれその資質をあらわにした子供に、畏れや恐怖を抱く大人はいくらでもいた。既得権益を失うのは誰だって嫌なものだ。

皿を綺麗に拭いて片付け、冷蔵庫の中身を確認する。
異物があればすぐにわかるように内容を記憶し、皿の枚数や位置を確認する。
どうせザンザスは自分でコーヒーを入れることくらいしかしないし、執務中は持ってこさせることがほとんどだ。
ここを使うことが許されているのは限られた人間だけであることは、彼にとっては格段特別なことではない。
他人にとっては特別に見えることかもしれないが。
朝食が終われば、メイドが新聞を持ってくる。ドアをあけてそれを受け取る。
新聞を読み始めたところで退出の許可を貰えば、「まだいたのか」と一言。それに微妙な気分になって、スクアーロは部屋を出た。





ひらりと屋根の上に足を乗せれば、嫌になるほど空が澄んでいる。
吐き出した息は少しぬるい。興奮しているのか、と思う。
仕事は終わった。今日の依頼は案外簡単だった。報酬も案外低いものだったが、手が開いていたのでスクアーロが引き受けた。暇になってもすることがないし、どんな仕事でもきちんと終わらせる自信はあったし、体を動かしていたかった。
足音を立てずに屋根の上を走り、路地を見つけて飛び降りる。足の裏の路地が冷たい。
そういえばそんな季節なんだなぁ。
今朝思ったことをもう一度思う。秋が来たことを実感したのはひどく久しぶりだった。
なんでなんだろう、そう考える余裕があった。興奮していると意識が回転する速度が速い。普段思わないことを考える。
思考の端が脳裏を走り、あ、と思ったら捕まっていた。




誕生日の話をした。


もう遠い昔のことだ。


頭の中で年月を考える。途中がほとんどすっぽぬけているので、どうしてもそこで一瞬意識が止まる。数えたらずいぶん前だった。
何の折で話をしたのか、映像だけが記憶にある。木の下で寝転んでいて、スクアーロはいつものようにザンザスの横顔を眺めていた。いつも怒っているか不機嫌でいるか、凶悪に笑っているか何の興味もないか、そのどれかしか感情を見せない顔が、横から見ているとそれほどきつく感じられない。それでも眉をひそめているのはかわらない。
なんの気まぐれだったのか、生まれた日の話をした。
吐き捨てるように「まぁ、気狂いが言ってたことだからな、本当かどうかはあやしいが」と言った声は、どこか掠れていた。

それちょっと出来すぎじゃねぇのか、そう言おうとして返せなかった。なんだかその言葉を言ってはいけない気がしていた。そんなことは彼が一番わかっていることだろう。いままで、何度も何度も何度も、嘲笑と含み笑いと媚とへつらいと、見下されるような口元だけの笑いまでも含めて、何度も言われたことだろう。
同じようなことを言われたことがスクワーロにもあったが、それは彼がその言葉の意味を知る前から言われていたから、含まれていた毒に気がつかなかっただけだというただそれだけだ。
五歳と十歳の脳味噌は違う。
スクアーロのそれに含まれていたのはほとんどがそれをただ事実だというだけの意味しかなかったが、彼のボスのそれはもっと濃厚な毒を含んでいた、それが違いだった。



プレゼントの意味を考える。


それは祝福の祈りだ。


祝福? そんなものは俺じゃないだれかがやればいい。
俺があいつに捧げるのはそんなものじゃない。そんなものを捧げる役目は俺のものじゃない。

そういえば、とスクアーロは思った。
二人で一緒に誕生日を迎えるなんて、今年が始めてではないかということに。




 


2008.10.19
ぎゃぼー! こんなに遅くなってすいません! ボスすみません! 
あ、ちょ、ピザ投げないで! チーズ冷えると固まって取れないんだって!


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