いたずらか、気まぐれか?
希望なんてものは持つだけ無駄なものだ。

スクアーロが始めて自分に言い聞かせたことはそれだった。信条といってもいい。
希望なんてものは彼の人生には無縁のものだった。
希望、そんなものを抱いていたって何にもならなかった。力のない子供は常に搾取され、かろうじて彼の存在に意味を与えたのは彼の父の形見の古い一振りの刀と、それを見込んで剣の修行をさせた遠縁の男と、その男のなけなしの温情で潜り込んだ学校だけだった。それ以外の何も彼にはなかった。そしてそれを恨んだり妬んだりすることを、彼は早々に諦めてしまったのだ。
そう、スクアーロは希望を持つことをしなかった。諦めることを知っていた。
子供は諦めを知らないものだ。本当は諦めることを知らず、大人にそれを願い請い、脅し強請り言うことを聞かせようとするものだ。子育てはその戦いに過ぎないが、しかし彼はその戦いから早々に撤退した。
希望なんてものは多くもっていけない。
なぜならそれはそう簡単には適うものではないのだし、それをかなえるためには、自分のようなものにはひどくエネルギーがいることをスクアーロはなんとなしに知っていた。
望むよりも手に入れるほうが楽だった。逆にいえば、望めるものだけを手に入れたほうが、絶望を味合わなくてすむからだ。そして絶望に浸ってるだけの余裕がスクアーロにはなかったので、彼はすぐに希望をもつことを諦めた。

彼は何度目になるかわからない自嘲を今回もやってしまったと思った。
多くを望みすぎるからよくないのだ。
望むは一つでいい。いまの自分にある望みはひとつしかない。世界中探してもたったひとつ、そうたったひとつしかないのだ。
それでいい、それがいい。それだけでいい。それだけ、それがいいのだ。

そうしてスクアーロは彼の世界が目を覚ますまでを待った。自分の望みをそれにした。
そのためにあらゆるものを望むことを諦めた。その望みのためだけに自分を生かすことにした。
そうしなければ彼は生きていけないと思ってしまった、一分でも一秒でも、死ぬことを選ぶことよりもずっとそれが辛かった。つまり彼は希望をもっていたのだ、絶望することが出来なかったのだ。
絶望するためにはやはり膨大なエネルギーがいる。そして彼にそのエネルギーを注ぎ込んだその男は、困ったことに世界の破壊は望んでいたが絶望してはいなかったのだ。
スクアーロはその力を注がれて、世界を希望することを覚えた。正確には、彼の主人、彼の世界を作り変えた男のいる世界を望んだのだ。


そして彼はそれ以外をまったく望むことをしなくなった。

彼の主がそれに気がついたときには、スクアーロの世界にはスクアーロすらいなくなっていた。
世界には彼の主だけがいて、彼が望むことがスクアーロのすべて、彼のしたいことがスクアーロのするべきことだった。そうであるように、彼は自分を変えてしまった。十代のほとんどを彼はそうやって自分を形つくり、世界を望むことのすべてを彼のために生きたので、彼はひどくいびつになってしまった。
困ったことにそれに誰も気がつかなかった。
気がついたときにはもう遅かった。

「俺は犬とつきあってるのか」
彼の主は時々そう言って彼を困らせる。
それは比喩として? それとも実際の意味として? 
スクアーロはその意味の示すことが今ひとつよくわからない。
それは自分のことか、犬というならそれはそうなんだろう。
主人の命令を聞くことが犬の仕事なのだから、狩猟犬である自分がそうであるのは当然のことだ。
「…俺はいい犬だろう?」
そう返すと主人はひどく困った顔をする。口に入れた煮込みがまずかったような顔だ。
それがどうしてなのかスクアーロにはわからない。わからないからその指が命ずるままに膝をつき、足に口付けし、口を開いて舌を出し、あるじを舐めて喉を鳴らす。
鳴けというから鳴き、服従の姿勢を取り、犬が交尾するように背中に圧し掛かられ、首根っこに噛み付かれる。メス犬のように鳴く。
犬の交尾は何十分も続くというが、それに負けずにスクアーロの主は長く彼を犯す。腰が痺れて感覚がなくなり、喉が掠れて声が出なくなり、涙も枯れて目を開けられなくなるまで、長い髪がもつれてシーツの上やら彼の身体に絡みつくまでいつまでも彼の身体をまさぐっている。


希望などたった一つあれば充分だ。


スクアーロはそう思い、心底そう思い、それだけを思い、そのためにだけ生きていることを自分に課している。
それだけが彼を生かす。そう信じている。

パンドラの空けた箱の中には最期に希望が入っていたというか、元はその箱の中に入っていたのは世界のすべての厄災なのだ。
希望が本当は大いなる災いでしかないという神の皮肉ではないのか! とザンザスは思っている。
そしてそれはあながち間違いでもないらしいということを、彼は自分の下で気絶したように横になっている男の背中を見ながら思っている。そんな感慨にももう慣れてしまったことに、最近は感動してさえいる始末だ。
こんなになってもまだ、彼と何かになりたいなどと願う自分がいるということが、希望でなくてなんであろう!

2008.11.3
覚書みたいなものになってしまった…。


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