全時代的目撃談・3
なんとなく続いています。
築100年をゆうに越える、その屋敷は門の外で見たのよりも断然、深い。
入り口はそれほど広くない。赤い絨毯はそれほどいいものではないが、足音を消すにはじゅうぶん。
模様のない緋毛氈、どっしりした旅館の玄関から、番頭のいる受付まで、まっすぐに。

「ご予約をいただいた、……――様で、ございますね」
「ああ」

外国人の客も多い、このひなびた温泉の中でもいちばん、格の高いとされている旅館の、その受付は英語での応対もなれたものである。最近は韓国や中国の客も多いので、それで応対が出来る人間もいるにはいる。それ以外の言葉はなかなか難しいが、日本に来る外国人は、そのあたりは当然、知っているのでなんとか、身振り手振りで理解できるように、しているのではあるが。
今日の客は、すばらしく背の高い、姿勢のいい外国人の二人連れ。
黒いロングコートはおそろいではなさそうだが、色味が似ていて一瞬、夫婦がなにかだと思ってしまうほどだった。確かに一人は堂々とした黒髪の威丈夫、一人は腰まで届く銀の髪の麗人、ではあるが。
どちらも男だな、と受付の男は思った。なぜ、といわれてもわからないが、声を出さない背後の白銀の麗人は、長い髪に惑わされているが、男だと思って間違いない。女にある曲線を、どうにも感じ取ることが出来ないからだ。
鷹揚に堪える黒髪の男は、差し出したペンをとってサインをする。手の甲にうっすらと残る傷跡に目を止める。
ふと見れば客の頬にもうっすらと色が違う部分がある。当地の温泉の効能に火傷の傷があったことを思い出す。
背後で佇むもう一人は、チェックインの間何も言わない。ただじっと男の背中を見ている。茶色のグラスが間を妨げているが、寄せてくる視線は針のように鋭い。

「ご案内いたします」

取った部屋は旅館の中では最上級、近年新築した一日限定4室だけのもの。予約を入れたのはサワダと名乗り、取引先の上客が来るので一つ部屋を押さえてほしい、というリクエストだった。外国人だが日本語には堪能なので、言葉は問題ない。あと出来れば部屋に風呂がついているか、時間貸しが出来る風呂があるといいんだけど…と相談され、その部屋を勧めた。この部屋一泊で最低ランクの部屋なら三日は泊まれるが、その金額にもひるむことはなかった。
二人は黙って後についてくる。先達をしながら、二人の足音がしないことに、係の男は気がついた。
スリッパの足音が一つしかしないのに、二人はきちんと後をついてくるのだ。
最上級の部屋は改築した一番奥にある。百数十年を経た、旅館の自慢の庭に面した離れがそうだ。
その中でももっとも奥の部屋を案内する。部屋に入って初めて、黙り込んでいたもう一人が声を上げた。

「なんだぁこれぇ? 眺めがよすぎるぜぇ」
「うるせぇ」

感嘆、ではなさそうな外国語の言い回しに、もう一人の男が軽く頭を叩く。痛い、と言った(のだろう)銀髪の男を気にせず、黒髪の男は部屋をぐるりと眺めて、「悪くない」と呟いた。こちらは日本語。
避難路の説明と夕食と朝食の説明をする。部屋は洋室と和室の続きで、ベッドルームも畳で布団もどちらも選べるので、どちらにしますか、と問えば、珍しく和室を使いたい、とのこと。布団は外国人でも対応できるように、長いものをしつらえてあるので、心配はないだろうと思われる。浴衣も同じように、予約の電話では180を越えると聞いたので、一番大きなサイズを二枚、用意してある。確か帯は色違いでいくつか用意していたはず、サイズ違いがいいなら後で届けますが――といい置いて、係の男は部屋を立ち去った。


「なぁ、ここ眺めよすぎねぇ?」
「だからいいんだろ」
「んー、まぁ前はぁ山だからいいかぁ? 向かいから狙撃されたら一発だなぁ」
「そんな物好きがいるか」
「わかんねぇぜぇ? ま、そんなことにはならねぇだろうがなぁ!」
「おまえがぎゃあぎゃあ言わなければバレることはねぇだろう」
「そんなことはねぇ!」
「黙ってろ。……ったく、」

和室の中をどかどか歩いて、窓辺にしつらえられた椅子とテーブルをぐるりと回り、窓を開けてあたりを睥睨する、銀の死神はどこにいても、仕事と私用の区別をしない。それは彼の背後に立つ、紅い瞳の王がいるせいでもあるが。
彼が行く先を点検して回るのは彼の仕事。私事で来ているとはいえ、二人だけで長く異国の地を移動するのだから、彼の面倒を見るのは自分の仕事だと、何故だか強く、そう思ってしまって毎回、きりきりと宿を点検するのは、すでに言っても直らない。ザンザスはそれをいさめるのももう諦めている。ここは日本で、外国人はハンパなく目立つ国だ。東洋人でもチャイナとコーリアを、きちんと日本人は見分けるらしい。

「まぁ俺たちだって目立つだろうな…、なんだって日本にきたがったんだ」
「ん? だって遠い場所のほうが、アンタ気が抜けていいだろうぉ?」
「はぁ…おめぇが一緒にいるってのにどこで気を抜くんだ」
「寝起きのおめぇをツナヨシに見せてやりてぇもんだぜ」
「はっ、……おめぇだってすげぇ顔してる癖に」
「アンタが悪さしなけりゃ、俺ぁいつだって元気だぜぇ」
「てめぇだって共犯者じゃねぇか」
「まぁなぁ。――あ、でも今晩は駄目だぞ!」

くるんと振り向く背中に遅れて銀髪が、綺麗な弧を描いて、細い背中を覆って隠した。
スーツを脱いでネクタイを外し、ベルトを外してすっかりくつろぐ気分になっているザンザスの前で、振り向いたスクアーロがびしっと彼を指差した。

「ここじゃ外湯巡りすんだ! 跡残すと明日の湯巡りできねぇから、しねぇぞ」
「はぁ? おめぇまだ風呂に入る気か?」
「もちろんだ! おまえも入るんだぜぇ」
「はぁ?」

腰に手をあてて、たいへんえらそうにふんぞりかえった姿勢のまま、スクアーロは宣言した。

「今回は外湯全部回るぜぇ! いつこられるかわかんねぇし、そのために二泊とったからなぁ!」
「…本気か?」
「本気だぁ!」

なんでこんなに温泉が好きなんだこの男は、普通に普通の西洋人の発想で、そこらへんがいまいちわからないザンザスは、たいへん楽しそうに室内を見て回っているスクアーロの後ろ姿にため息をついた。
今回は休暇じゃなかったのか? なんでこんなにあちこち移動するんだ? しかも毎日毎日温泉三昧とはどういうことだ? 
まぁ温泉そのものは別に嫌いではないが、そこまで何度も風呂に入る習慣がそもそもないので、一日に何度も湯船に入る、ということが案外、この男には面倒で仕方ない。嫌いではないが、そんなに気合入れて入るようなものなのか?

室内装備を一通り点検してから、戻ってきたスクアーロは、受付にあったパンフレットを眺めながら、どう回るのかを真剣に考えている。
今回は少し張り込んだ。昨日は山の向こう、国内でも有数の有名な温泉地に泊まった。そちらは皮膚病に効用があるという話で、山間の少しくぼんだ平地に固まって並ぶ、数多くの宿はかなり、サービスも充実していてそれなりに満足だった。町中に温泉の硫黄の匂いが立ち込めて、いままで一番、異国の風情を味わった。ただかなり湯が熱く、刺激が強くて難儀した。傷に染みるほど強い、酸性の湯は、本格的に湯治をするには、先達に指導がいるという。
確かにそれも悪くなかった。そこには二泊したが、風向きと山の様子によって、硫黄の匂いがきつかったり、弱くなったりした。体臭まで硫黄くさくなりそうだな、とは思ったところで明日は別のところに行く、と言われて山を越えた。山はかなり高く、途中で硫黄の匂いがひどくきつくなり、バスの乗り換えで一時間ほど待っていた山頂は、荒涼とした岩だらけの場所で、仏教の地獄の様子に似ているというので、その名がついているという。すでに一度雪が降ったらしく、日陰に白いものが残っていた。来月には通行止めになるんだよと、山頂のロッジで同じようにバスを待っていた日本人が言っていた。夏の間だけ開いている山頂のロッジはすでに店じまいをしたらしい。
今回の旅行でどこに何日行くのかは、実はザンザスは全く知らない。おおよその当たりはついているが、初めてスクアーロが自分で決めて、ザンザスを引っ張り出してきたことなので、とりあえず何も言わずについてきたのだ。長年ザンザスと一緒にいるのだから、ボスの気に食わない旅行にはしないだろうと思って放っておいたのだが――こんなに温泉三昧の旅になるとは思わなかった、というのが正直なところだ。

さすがに連日の移動で疲れたのか、今回はこの宿に三泊の予定だ。
ザンザスはだらしなく床に横になり、背を伸ばして目を閉じた。

「ボスー、ザンザスー、寝るならなんかかけろー? 暖房入れてるけど、寒いぜー?」
「寝るわけじゃねぇ」
「そっか? じゃ俺とりあえず風呂行ってくるから」
「………は!?」

ちょっと待て、今日も宿を出る前に朝、風呂に入ったはずだったよな?? だるい眠い痛いとかいいながら(もちろん励むことは励んだので)、朝食の前に部屋風呂に入り、それからチェックアウトしてバスに乗ったはず…それからは山頂でバスを待って、乗って降りてきただけなので、別に何もしていないはず…じゃねぇのか…???

「おまえまだ入るのか!?」
「んー、だって山の上、寒かったじゃねぇかぁ。今ならまだ宿の風呂も人が少ねぇかと思ってよぉ、ちょっとあったまってから外行こうかと思ってな!」
「はぁ!? 部屋に風呂着いてるじゃねぇか、宿の風呂に入るのか?」
「それとこれとは別だぁ! 人がいないときじゃなけりゃ入れないだろぉ?」
そう言っていそいそと準備をする、この男はこういうことは本当にマメだった。スクアーロがこういうことが好きだとは、ザンザスはまったく気がつかなかった。
「アンタも入れよぉ、体が少し硫黄臭いぞぉ」
そんなことをさらっと言われて、ちょっと地味にザンザスは傷ついた。黙り込んでタオルと浴衣を手にする。
確かにお互い人に見せるには差しさわりのある体、人が少ない早いうちに風呂に入るのがいいだろうことはザンザスも納得した。
準備できたら行こうぜぇ、と手を引っ張られて、迷路のようになっている露天風呂へ向かう。



露天で体を洗って、家族風呂で髪を洗って、夕飯の前に一番近い外湯に入り、戻ってきてからゆっくり食事をしたら、すっかり夜もふけてきた。何かをしたわけでもないのに、標高2000を越える高さを移動してきたせいか、やけに体がだるい。
テキーラもウイスキーも全く酔わないザンザスだったが、どうにも日本酒は弱いらしい。二人で土地の吟醸を1本、地元のワインを1本あけたら、すっかりザンザスは眠くなった。部屋出しとレストランのどちらがいいかと言われ、初日なのでレストランを選んだが、戻ってくるのも難儀なほど、ザンザスは足元がおぼつかない。
肩を貸しながら戻ってくるのは大変だった。大変だったが、ちょっと嬉しかったことはいなめない。甘えている、ようにも思える。
部屋に戻ると布団が伸べてあって、ザンザスはその上に座り込んで、ぼうっとした顔で服を脱ぎ始めた。浴衣でいいんだぜ、といくら言っても、ザンザスは夕食を外で食べるというのに浴衣で出ることはいやだといって、服を着替えて上着を着て行ったのだ。スクアーロも付き合いで着ていた浴衣を脱いで上着を羽織った。さすがにネクタイはしなかったのでほっとした。スクアーロはネクタイを締めるのが大変に苦手だ。

出る前に電話をしてから、ゆっくりと風呂に向かったルートを途中まで同じようにして辿る。そこから本館に入ってエレベーターに乗り、いくつかあるレストランのうちの一つに入る。二人の取った部屋は他の宿泊客とレストランと別の場所で、他の部屋の客はすでに食事を済ませていたらしく、部屋にいるのは二人だけだった。
同じルートを戻るのは行きより難儀だった。一人はかなり足元があやしかったし、それを背負うほうもかなりいい気分で、ふわふわした状態のままだったからで、ふたりは倍の時間をかけて戻ってきた。
別にたいした用事はなかった。スクアーロは食事がこなれたらまた深夜にでも風呂に入りなおそうか、と思っていた程度だったので、そうしてゆっくり、ザンザスの重みを感じなら歩くのも、悪いことではなかった。

ほぉ、とぬるく息を吐いて、上質な布団の上で服を脱ぎ、浴衣を引き寄せて袖を通してすぐに、中にもぐりこもうとするのにスクアーロは呆れる。帯もしめずにどうするつもりだ。
「う゛ぉおい、ボスさんよぉ、せめて帯は締めろよ…ガウンじゃねぇんだぞ」
「あー?」
酒臭い息が吐きかけられ、さらに酔いが回りそうだ。普段なら怒って殴られそうな物言いも、今日はやけに素直に聞く。帯を引き寄せて体にぐるぐる巻きつけ、そのまま軽い布団の中にもぐりこんだ。
すぐに寝息が聞こえてくる。子どもみたいに体を丸めて眠る、横顔はやけにあどけない。
手を伸ばして額にかかる髪をそっと払う。そこに拡がる傷跡が、酒で充血して普段よりくっきりと浮かび上がってくる。それを指先でそっとなぞる。昔よりずっと、それは薄くなった、ように見える。
火傷の効用がある宿ばかりを選んでいるつもりはなかったが、このあたりは戦国武将の開発した湯治場が多い。そうなるとほとんどそれは戦の怪我を治す効用のある宿ばかりで、切り傷を多く残すスクアーロと、火傷の跡を残すザンザスの、双方に有用でない温泉などなかった。
なんだか信じられないほどのんびりした気分になって、スクアーロもついでに寝るかと思い、歯を磨いて服を着替え、そのまま布団にもぐりこんで目を閉じた。



2009..3.31
なんだか長くなったので続きます。こんなアホな話が続いてどうするの…。


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