全時代的目撃談・2
なんとなく続いている…?

その温泉は川の中にある。
細い山道の抜けた先に、数件宿と家がある。その前に車が行き違いできるかどうか、くらいの道の幅の先に、川へ降りる道がある。
川原は石がごろごろしているが、常にそこから湯気があがっている。寒いからではなく、川の中に温泉の湯元があるからだ。
と、いうことでその温泉は基本無料。しかも24時間公開。誰でも入れる。基本的には。
さすがに街道から丸見えなので、昼間からそこに入る豪胆な人間はあまりいない。
水着で入ればいいのだが、脱衣所があるわけでもないので、結局はどこかで着替えなくてはならない。
だから時折、街道を通り抜けがてら気が向いた大学生や、温泉巡りの中高年の男性が入っている姿を見ることもある。

と、いうことで、この温泉の醍醐味は、実は夜なのだ。
もちろん街灯は道の上に一つきりしかない、ただの真っ暗闇の川原なので、夜は本当に足元に気をつけないと、どこで転んでもわからないほど危ないのは確かだが、――それが逆に利点になる。

その夜はとてもいい天気で、月は満月、雲はときおり月を隠し、風もなくてとても静かだった。
雪が降る前の晩秋の山の気配に、屋外の温泉はたいそういい雰囲気。
日が暮れるにつれ、ぐっと冷え込んだ温度の中、浴衣とタオルをもって川原へ降りてゆく客は、物陰でさっと浴衣を脱ぐ。
一応女性には水着を着てくださいね、と指示されてはいるけれども、それを守っている人はいるのかどうか、それは定かにはわからない。
川は空気と湯の温度差で、ものすごい湯気がたちこめている。
対岸が見えないほど、湯気がもうもうとたちこめて、そこだけどこか、幽玄な雰囲気で満ちている。
時間が時間なので、子どもがいないせいで非常に静かだが、人は結構いるらしい。黙っていても、気配がある。
目が慣れてくると、湯気の向こうに人の影がちらほら、見える。

「おっ、ここ熱いぜぇ」
「ぬるいな」
「ゆっくりはいれぇ」
「転ぶなよ」
「そんなへまはしねぇよ」
「…へっ、どうだか」

ぼそぼそと声が聞こえる。
川原の石は冷たいかと思ったが、地面が暖かいのか、はだしで乗っても寒くなかった。
湯治客はそっと川に入り、しばらくじっと川の中で、足元の石の感触を味わっていた。
すると近くに、人の声がする。
そちらを見れば、もうもうとたちこめる湯気の中に、ぼんやりとふたつ、影が見えた。
大きさから男だとわかるが、ひどく静かな気配しかしない。
とにかくあたりが暗くて暗くて、隣にいる人の顔の判別が全くつかないのだ。

「結構物好きがいるなぁ」
「てめぇもそうだろうが」
「あんたもなぁ」
「…見えないからな」
「そうだなぁ」

小さいがひどくよく通る声で、二人はそんなことを囁きあう。
しのび笑う気配。友人同士かとも思うが、それにしては練れた雰囲気がある。
顔を寄せているわけでもないのに、そう思わせるなにかがある。
雲が少し途切れて、月が姿をあらわす。
川原にかかる木々の隙間から月のあかりがさしてきて、湯気の向こうにただ住んでいる二つの影をそっと照らしてきた。
一つは光を浴びてもまったく姿が見えないが、もう一人の髪が、月の灯りできらりと光る。
川の水に体を沈めて、ぬるい湯にひたっていた湯治客はそれに目を見張る。
あたりの闇に沈んでいたほかの客も、月明かりがそこだけ光を集めたような、白銀の髪に意識を持っていかれたことに気がついた。
長い髪を頭のてっぺんにまとめたらしい。
光を浴びるとそれはそれはキラキラと白く輝く、月の光と同じ色の髪。
強く輝くまぶしいほどの晩秋の月の光の中で、そこだけひときわ、人の目を引いてぼうっと浮かび上がった。
目が慣れたといっても現代の人のこと、そこまではっきりと判別が出来るかどうかは不明だったが、しかしその長い、白銀の髪はなんというか、黒髪の多い日本人の中では一層目立ち、闇の中にひっそりと浮かび上がってきて。
まるで地上に落ちてきた星のかけらかなにかのようで、ため息もどこか、人目をはばかるような気分になる。

「月が出てくるとまぶしいくらいだなぁ」
「川で風呂入るってのも不思議なもんだな」
「だろうぉ?」

低い声が水面を渡る。静かにその、影が動く。少し暗がりへ移動したらしい。そちらは一層、湯気がひどくて人影も見えない。
熱い湯が出ているところがあるのだろうか、そこから出てくる人の動きでどうやら、人がいることが判別できる程度の暗さ。
ぎぃいっと高い木のこずえで獣が鳴いた。
宿の窓には「猿が出るので窓を閉めてください」との張り紙があったことを、湯治客は思い出す。
月のあかりを透かして空を見れば、葉の落ちた高い木の先を、小さい黒い物体が、風を切って動いてるのがよく見えた。
ぎいっ、ギャッ、そう鳴き声と同時に揺れるこずえの先の細い枝。
そこにひっかかる月は満月を過ぎたがまだ丸く、冴えた光は本当に、ひどく冷たく熱をもたず、晩秋の山の、谷沿いの湯治場をそっと、照らしている。

「月はいつも同じだな」
「そうだな、……どこでも同じ色だ」

暗がりに移動して、ふたりはそんなことを言い合った。
さすがに自分の手も見えないほどの暗闇、かすかな月明かりに人影がおぼろげに浮かびあがる。
赤い目と灰青の目の二人は、黒目の日本人よりよほど夜目が利くが、さすがにここまで暗い場所にはなかなか来ることがない。
湯はそれほど寒くないが、外気が冷たいのでのぼせることがない。
頭だけを出し、肩を少し出しているだけで、いつまでも入ることが出来るようだった。
二人はまだ日が高いうちからこの宿に入り、一度内湯に入ってから夕食を取り、一眠りしたあとで出てきたところだ。
互いに人目に堂々と体をさらせるわけではないから、宿は全て、部屋に湯がついているか、時間で貸しきれるものだけを選んでいる。
この宿を選んだのも、銀の男が川の湯に入ってみたいと行ったからだ。
昼間はともかく、日が暮れれば、夜は彼らの時間である。
川の中に出る湯元を探るだけの素朴な外湯は、いくらでも入っていられるのがいい。
そうでなくても目立つ外見な二人も、こうして闇にまぎれてしまえば、体中の凍傷の傷跡も、刀で切り裂かれ鮫に食われた縫い目の残る白い肌も、人目に触れることがなくていい。
好奇の目よりも人の印象に残ることを避けなくてはならないのだと、そういう生業の二人だったが、この国ではどうしても、その外見だけでもひどく目立ってしまう。それにももう、大分慣れたが、風呂に入っている間くらい、そんな緊張から解放されたいのも事実、ではある。

「あ、どこ行くんだよ」
「もっとぬるいところに行く」
「のぼせそうかぁ?」
「喉が渇いた」
「水でも持ってくるんだったぜぇ」
「そういや、日本だったらこの水飲めるんじゃねぇのか」
「…さすがに生水はやべぇだろ…」

水の中をそっと、中腰の姿勢で移動する。湯気がたっているところが熱いところで、そうでないところはぬるいところだ。そこを移動しながら川の中をこっと動き回るのも、なんだか妙に楽しいな、とザンザスは感じていた。スクアーロは本当に若いうちからあちこちに出かけていて、ひどく旅なれている男だったが、30を半分過ぎたあたりから、こうやってザンザスを遠くまで引っ張りまわすことが多くなった。ヤマモトからこの前何かパンフレットのようなものを貰い、それを珍しく熱心に辞書片手に読んでいたと思ったら、二週間の休暇をもぎ取って日本に行くと言い出したのだ。毎年日本に来る用事があったが、仕事ではなくて二人だけで、ただ何ということもなく、旅行をするのも本当に、久しぶりだったな――と、湯の中でぼうっとしながら思う。

月は少し雲に隠れて、また見えてきた。
銀色の光が川原の水面に、木立の影を落とす。
さらさらと流れる川の音、その中にまぎれてかすかに、人の声。それも上空の風の音にまぎれて消えて、ひどく静かな、それでいて和やかで、どこか楽しげな雰囲気で、満ちた、不思議な一瞬がそこにあった。

「あー、ここはぬりぃなぁ。でもかえっていい気持ちだぁ……」
「いい気なもんだな」
「…んあ?」
「ここで湯に入ってる連中がな」
「俺たちだってその連中の一人だろぉ」

そう言って近づいてくる白い肌。するりと闇の中から伸びてきた手が、外に出して冷えた二の腕に触れた。

「ここはなぁ、昔、日本の武士が戦争で傷ついた体を治すのに過ごした場所なんだそうだぁ。
傷や怪我の種類によって、いくつか種類があるんだそうだぁ。……だから、」

声でしか感情を推し量れないのが残念だ。今もっと月が明るかったら、こいつの顔が見えるのにな、と思うと、少しだけ惜しかった。

「ざん、ざす…?」

手探りで引き寄せて肩を抱く。そんなことをしても見えていないだろうと思うと、口元に笑みがこみあげてくるのが止まらない。
黙り込んだ顔を引き寄せて、そっと額に唇を落とすと、川の流れの音が一層深く、耳殻の奥に染み込んできた。



2009.3.26
こっそり続いているこの話、今回は尻焼温泉です(笑)。参考リンク
完全屋外(というか川の中)露天風呂で、夜は真っ暗。隣に人がいるな〜ってのがわかるのは、月が出ている間だけ、という野趣溢れる温泉です。本当に秋に行くと猿が来ます。でもこの川の中の温泉ってのがすごくいいところですよ。近くの宿に泊まって、夜に出かけるのが一番いいんじゃないでしょうか。
女子で水着持っていくならビキニがおすすめ。早く乾くので、翌朝入るときに冷たくないし、お腹がきちんと温泉につかるので、湯冷めしにくいです。


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