長期的戦略要綱



三十を過ぎてからザンザスは、誰もがびっくりするくらいに色気のある男になった。
元から妙な色気のある男ではあった。二度の早すぎる挫折と闇を跋扈する生業が、もとから彼にひそやかな影を与えていたのだが、それは彼の男らしさ(と、一般にいわれているもの)を増しこそすれ、損なうことなどまったくなかった。むしろ外見だけを見れば、その挫折の記憶は、彼に異性(同性も、だ!)にとってはたまらない深みと奥行きと憂慮と人生の機微、もしくは限りなくそれに見えるなにかをただ与えるだけだった。それはただの不機嫌で傲慢な金持ちのドラ息子とは確実に一線を越えた何かであった。
当然のことながら、彼は他人をにらみつけたり、殺気だって睥睨したりしなければ、跳ね馬の異名を持つ甘いルックスの若きボスのような、柔らかな微笑みを口元に浮かべることなどしなくても、どんな人間をも意のままに従わせることが出来るのだった。
なんといっても地中海の恵みをその血の中に持つローマの子供たちは、その血ゆえに、圧倒的な美への忠誠心を、おそらくどこの国の人間よりも強く、強く持っているのだった。彼の、その太陽と血と魂の化身のような見事に均整の取れた体に、栄光と挫折の刻印を持つ男の顔立ちに、美というもの、力というもの、その圧倒的な存在感というものを見出さないわけがないのだった。
そういえば、彼は自分が狙った人間でおとせなかった人間はいままで一人もいなかったことをいまさらのように思い出した。ただの一人もいなかった――そう、彼はそう思いさえすればよかった。そう思ってそうすれば、彼を見て彼に魅了された人間は、ただの一人も彼の言うことを聞かない、従わないものはいなかった。そうでない人間はただ単に、彼がそうしようと思わなかった、ただそれだけである。
しかしザンザスは残念なことに、長い間、その事実に全く気がついていなかった。
気づいていなかったのだが――ある日、ようやく彼は自分の、過去の挫折を補ってあまりある膨大な資産に気がついたのだった。

彼はためしにそれを、彼が最も苦手とする、最も「使えそう」な上司に使ってみることにした。
効果はてきめんだった。
十代目になったばかりの日本の若者はすぐに、そろそろ結婚を考えているんだけど、どうしたらいいと思う、などという相談を持ちかけた。正直とても面倒だったが、彼に恩を売っておくのにこしたことはないと判断したザンザスは、かつて愛人たちにしてきたことのいくつかを、その日本の青年に伝授した。イタリアの女じゃそんな程度でなびくようなことはないだろうが、日本の女なら大丈夫だろう、そんなことを思っていたらすぐに電話が来て、ありがとううまくいったよ本当にありがとう、おかげで結婚することになったようんすぐに、と報告がきた。二週間後には正式に結婚式の日取りが決まり、二ヶ月後には結婚式が執り行われた。ザンザスは仕事で出席しなかったが(もとよりそんな光のあたる場所に出ていく身分でもなかったし、そういうものが本当に好きではなかった)、その報告がてら、来年には家族が増えることになったと手紙が来たそのときには、あまりに上手く行きすぎて、ザンザスは少し不安になったほどだった。
とにかくそのおかげで十代目は彼にものすごく恩義を感じているらしく、その後で本部に出かけた時の待遇が格段によくなっていて、ザンザスはちょっとばかりおそろしくなった。

とにかくそれはうまくいった。そこでザンザスは、自分長年悩ましている疑念の大元、それこそ十代のうちからもう十数年、自分の心の中に入り込んできた、彼の剣になってやると豪語した自分の剣についての認識を、一段階(あるいはもっと上に! それはもう最上級に、だ!)格上げすることにした。
それはつまりそうでもしなければ、この先もう一日たりとも、息をすることも食事をすることも眠ることも満足に一人でできやしないのではないのかと、ザンザスはそう思ってしまったからだった。
本当はもうだいぶ前から、その頭の悪い、腹心とも部下とも愛人ともなんともいわく言いがたいその男、スペルビ・スクアーロがいなければ、ザンザスは夜ぐっすりと眠ることができないのだった。他の男と(時にも女も)話をしている姿を見ているだけで、胸の中に嵐が吹き荒れた。彼が近くにいれば、その整えられた(もちろんザンザスのためにだ!)姿かたちのどこでもいいから、触っていたかった。
本当に昔から、彼の体も技も心も忠誠も力もすべてザンザスのものだったが、ザンザスはどうしてそれが自分のものだと安心できなかった。安心する必要のないものへの安心を求めているから不安になるのだ、いっそ彼に何かを与えてみればいいのではないか、それこそ痛みや屈服や服従以外の何か、ザンザスの命令以外の何か、そう愛というものに近しい何かを与えてやればいいのではないのかと、彼はそこでようやく気がついた。

本当に物知らずで馬鹿で、ザンザスのこと以外何もなくて、鏡を見ても鏡の中の自分より、その鏡の中のザンザスを探してしまうような男だった。言葉を知らず、その言葉を言うための感情を持たず、感情を呼びさます愛を知らなかった。愛を知らずに育ち、愛を求めることをせず、ただ、ただザンザスを愛していた。
なんということなのか――そうだ、ただ愛していたのだ。受け取る愛を知らず、受け入れる愛の痛みも知らず、ただザンザスの怒りの炎だけを炉にくべ続けて燃えていた。ザンザスはその炉の中に違うものを放り込んでみたくて仕方なかったので――とうとう本気になった。

本気になって愛してみたところ、これまた男は本当に馬鹿だったので、ザンザスは本当に本当に困ってしまった。男は本当に本当に馬鹿で、こと自分のことになると驚くほど諦めがよくて、手に入れたものはなんでもかんでもザンザスに渡してしまうので、(そしてザンザスが喜んでくれなければ、すぐにそれを捨ててしまうので)与えたはずの愛が通り過ぎてしまうことも、気がつかれないままに落としてしまうことも多かった。男を諦めるという選択肢は最初からまったくなかったことにザンザスは自分のことながら本当にあきれていたし、回りの二人を見る眼差しが、行く末を見守る視線から、どこか生ぬるい諦観に似たものになったときにも心底恥ずかしかったが、それも手段にしてしまえばいいのではないかと開き直ることもすぐに出来た。そんなふうに思えることにも驚いた。
本気になった彼の愛は怒りの何倍もすさまじかった。
彼もやはりイタリアの男であった、つまりはそういうことである。

出会ってからすでに二十余年が過ぎ、彼が本気になって男に愛を捧げるようになってからようやく、まさにようやくと言っていいが、まさにそういわれるべlきことであるのだが、そうなってようやく、彼の腹心の部下であり、優秀な部下であり、ファミリーという家族の一員であり、彼を守る孤高の剣であるその男は、自分がザンザスという男に、唯一無二の愛を捧げられているのだ、ということにようやく気がついたのだった。

そう、彼以外のすべての人がそれに気がついていて、彼以外のすべての人がその愛の途方もない困難さと偉大さを知っていた。
それこそザンザスが彼に愛を捧げようと思うよりももっと以前から、ザンザスがスクアーロに捧げていたものの正体に、彼ら以外のすべての人は、もうとうに気がついていた。

ようやく二人にプリマヴェーラが訪れたのは、二人がすでに三十代の半分を越えたころだった。
長い長い春だった、と後に彼らを最も古くから知る男が、回顧とも諦めとも思い出とも言いがたく語る言葉に、彼らの周りのすべての人が深く深く、何度も何度もうなづいた。その意味に男だけがさっぱり気がつかず、彼らすべてはザンザスに心の底から同情した。それもすでに何度目なのかはさっぱりわからなかった。しかしそれは悪いことではなかった。
つまりはそれは春だったからだ。
そう、春だったからだ―――。

2008.10.12
なんだかすごい恥ずかしい文章ですね、これ…。
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