もういちどその声で私を呼んで
今生の『私』は何になるのだろうかと「私」は考えた。
今回の『私』はなりそこないのアルコバレーノ、ラル・ミルチだった。
前回はジョリョネロのユニだった。
その前は…いや、そんなことを思い出しても仕方がなかった。
なのに何故いつも、ここに来ると私は思い出すのだろう。すぐに忘れるのに。
そういえばかつてマーモンだったこともあった。リボーンだったことは…あったのだろうか? 
その記憶はなかった。いいや、そんなことはもう関係ない。そんなことに何かの意味などない。
『今の私』は、『なりそこないのアルコバレーノのラル・ミルチ』なのだから。
私たちのうちの『だれか』がやればいいことなのだ、これは。
すべての始まりの鐘を鳴らすこと、大きな流れを作ること。
いや、私たちは流れなど作っていないのかもしれない。
流れに乗っているだけなのかもしれない。たまたまだ。
ここに立つのは、『あの』時代のラル・ミルチだった、というただそれだけなのだろう。
毎回私の位置が違うのは、微妙に歴史がそれを修正してしまっているからだろう。
『私』の、『一番最初の私』はどこから来たのだろう? 
そして『誰』を――いや、そんなことを思い出して何になる。
たとえわかったとしても、戻ることなど出来やしないのだから。

私の手の中には七つのリングがある。
『この時代』では、まだ二つに分かれて、九代目と門外顧問の沢田家光が、それぞれに所持しているはずのリング――七つの守護者のためのボンゴレリング。それが完全な形になって、私の手の中にある。
それが集まり、それぞれの守護者の指にはまり、体内の力を引き出し、そして――あの戦いになるまでにはまだ時間がある。
まだ少し、あと少し時間がある。これが本当の形になるのはもう少し後の時間の話だ。

私はこの回廊を歩くのが初めてではない。
ボンゴレの本部の最深部、しかし人気のない忘れ去られた地下室。
ローマの時代の遺跡の上に立っているこの城の底に残る、過去の遺跡を利用した地下の回廊。
人気がないのは今に始まったことではないのだろう。
おそらくここ8年ずっとこんな感じなのだということを『私』は知っている。
ここには仕掛けなどない。それも知っている――過去の遺跡と同じ、ここはすでに忘れさられた場所だからだ。


そう思うと、私はいつも同じことを考える。
九代目は本当に、何を考えてこんなことをしたのだろう?


一度は自分の実の子として引き取った息子、自分の跡取となるべき素養と教養を身に付けさせた子供、それをこの氷の中に閉じ込めたままにしておこう、などとどうして考えたのだろう? 彼が――ザンザスが、この氷の中で眠っている間、少しでも事態が好転するかもしれない――などということを、あの男は本当に思っていたのだろうか? もし本当にそう思っていたとしたら、それは組織のトップの判断としては下の下でしかない。問題は先送りにしても何も好転しない、かえって悪化するばかりだと、何故想像できなかったのだろう?
時間が味方するのは老人ではなく若者だ。時間がたてばザンザスは一層力をつけ、ボスとしての能力を高めてゆくだろう。九代目がはからずも施した帝王学によって、優れた補佐がいれば、危機を引っ張ってゆく頭目として、大きな組織を動かす人間として、素晴らしい能力を発揮するだろう。
そこまで立派でなくても、彼は問題を先に送ろうとは思わないだろう。思わなかったからこそ、彼は王位を簒奪しようとしたのだから。
問題を先に送れば、禍根は深くなるばかりだということに何故想像が及ばない? 
一度目は怪我で済んだだろうが、二度目は命を奪われるぞ。

ああ、ラル・ミルチの記憶がおぼろげになってゆく。
私はあの争奪戦で、はからずも九代目のほうについて戦っていたが――そしてその先で、同じように十代目の少年に力を貸したが――それでも、やはりこの判断については、私は疑念を払うことがどうしてもできない。しかしここに彼がいなければ始まらないのも事実だとすれば、九代目のそんな最悪の判断すらも、何かの、何がしかの力による指示なのかもしれなかった。
そうだ、だとしたらこの思いも――ラルミルチがあれほど愛した男の、その面影もこの回廊に足を踏み入れたときから徐々に薄くなってゆく。名を呼ぶことも出来なくなるだろう――それを思い出せそうにない。
その男への思いだけは、私の体を焼き尽くし、燃えカスも残らないまでに燃えつくそうとしているのに――。

「――――」

名を、呼ぶことももう出来ない。
だが、今度こそ、私はその名を、この生で、もう一度、呼びたいのだ。
私に伸ばされた腕を取りたい、今度こそその手の中に飛び込みたい――その目を見たいのだ。
もっと近くで、思い出だけではなくて、私の頬を撫でた手を、もう一度、そう、もう一度。

そのために『私』はここにきた。
ここで、流れを作り出さなくてはならないのだ。


鉄の鎖に囲まれた墓標の箱のある部屋の前に着く。
扉はきしんだ音をたてるが、聞く人はどこにもいない。
内部は8年前の戦いで破壊されたそのまま、湿気とホコリで濁った空気にかすかに血の匂い。
少しだけ空気が動いている気配があるのは、亡国の王国の復活を願う忠臣の、王国の継承者への信義を辿る道があるからだ。
豪奢な飾りの柱は破壊され、壊れた何かが積もるその奥に、ひっそりと鉄の箱があった。
その中に眠る王を目覚めさせることが、すべての流れの始まりになる。
もしかしたら、今回の『彼』は、争奪戦に勝利するかもしれない。そしてその憤怒の炎で、すべてを焼き尽くすかもしれない。
もしそうなったとしたら、あの花の名の男のかわりに、彼がそこにいることになるのかもしれない。
そこまで時間は改変を許してくれるだろうか? 

…いや、そんなことはないのだ。
『私』は、すでに毎回そう思っているが、一度も『彼』が勝った歴史はなかった。
それなのに、『彼』をここで目覚めさせることは酷だと思ったが――私がしなければ、他の『誰か』がするだろう。

ザンザスのことを、ラル・ミルチであった「私」は、それほど知っていたわけではなかった。
存在を知ってはいたが、この事件の詳細を知っていたわけではない。
彼の存在そのものがもしかしたら引き金だったのかもしれない…そこまで遡って『修正する』ことは出来ないのだ。わかっている。あそこから一番遠い『源流』はここだった。ここより前には戻れない――ならこれから私がすることが、すべての始まりなのだろう。

私は持っていたリングを両手に持った。七色のボンゴレリング、守護者の証の七つのマーク。
手を広げ、その箱の前でかざせば、それはすぐに光を放ち始める。
七色の光が点滅しながら光り―――やがて大きく輝き始めた。

ゆっくり手を伸ばせば、それらの光は一層大きく輝きながら、ふわりと浮きあがる。
手を離れる七つの指輪は七色の光の玉になる。
熱をもたないが光が眩しい七つの光の玉。
それはそのままふわり、ふわりと手から離れ――やがて、冷たい鉄で作られた、箱の上へと舞い上がった。

「う」

一層光が強くなる。
ばちん、ばちんと大きな音がして――鉄の箱を冷たく戒めていた鎖が、何か大きな手で引きちぎられるように外れ、重苦しい音をたてて床に沈んだ。
私は少し離れたところでそれを見る。もっと離れたほうがいい、そう思ってまた少し後ろへ下がる。
戸を閉めていれば音はしない、わかっていても背後を気にしてしまう。
もっとも誰かが来たとして、これを止めることは出来ない。
氷を作り出した九代目でなければ――いや、彼がいたとしても何も出来はしない。

ゴトゴトと鉄の箱が揺れる。光がまたたく、七色の光が点滅する。強くなり、弱くなる七色の光。

箱は震える――そうして箱のてっぺんが、大きな音をたてて吹っ飛んだ。
鈍い音をたてて壁に激突する。

その中に、七色の光がすごい速度で飲み込まれた――箱の中で、光が強く、激しくなり、眩しくなってくる。
氷が溶け始めたのか、水蒸気が激しく立ち上り始め、視界を塞いでくるのがわかる。
白い煙が部屋の中におそろしい勢いで立ち込めはじめる。始まった。始まったのだ。
溶けない氷が溶けるときがきた。永年の凍結で自らの過ちを見ることが出来なかった老人に、過去を突きつける現実を掲げる時が来た。
彼が封じようとした、そして彼の後の男が知った、『私』がこうしようとおもって手にした――事物が白日のもとにさらされる日が、来たのだ。
「始まった、か…」











部屋に立ち込めた水蒸気がゆっくりと治まってゆく。
鉄の函は無残にもばらばらになって床に落ち、大量の氷で床は濡れている。
だが、その中央の部分だけは、床は乾いてひび割れていた。

中央に黒い影。ゆっくりと動き始める。床に手をつく。音がした。
「…ぁ?」
顔を上げる。
少年の体は濡れていたが、しかしすぐに乾き始める。乾いた蒸気があたりに立ちこめる、濡れたシャツがたちまち色を変えてゆく。
暗い部屋の中に目が慣れないのか、少年は何度か瞬きをする。暗い。そして体が重かった。ひどく。
手を伸ばす。長く眠りすぎた後のように動かない。おかしい、そう思って少年は自分の腕を見る。シャツが肘に引っかかっている。破けているわけではないのに――何故、と思う間もなく、床についている膝に、肘に、踝に、額に、冷たい床の感触がよみがえる。
少年はゆっくりと身を起こす――上下の感覚はわかる、自分は生きている、らしい。
なぜここにいる?
自分は誰だ?
少年は自分に問う、自分のために質問を繰り返す。ここにいる意味を思い出す。






私の役目も終わりに近い。ああ、わたしがだれなのかもうおもいだせないあれはだれだあのこどもはあのほのおのこどもはだれだざんざす、そうかれをおこすのがわたしのしごと、のしごとはあいつがおしえてくれたことだ、あいつは――だ、わたしもおなじ、なりそこないのあるこばれーの。
なりそこないではない、やくめがあったのだ、そのためにわたしはここにいる――ああ、わたしわたしわたしはだれここはどこわたしはわたしわたしのあのひとがわたしをよんでくれるならわたしのなまえはわたしのこえ、わたしはよぶのあなたを――ころねろ、…だれ? そのなまえは。わたしのなまえはなに、ざんざす、そうじかんがきたのよわたしたちのおしまいのじかんがおしまいおしまいおわるのぜんぶ、はながちるわ――あなたがくれたはな。



少年はゆっくりと膝をついて上体を起こす。部屋の中はどこか薬品にも似た匂いの水蒸気で湿っぽい。
喉が渇いた。何か飲みたい。この喉を潤すものが欲しい。ここは暗い、とても暗い。
光の中へ行かなくては。光。そうだ、最期に見たものは光だった。なんの光?

少年は自分の手のひらを見た。中央に視線が吸い寄せられる。じっとそこを見る。
ゆらりと何かがゆらめいた気がした。目の錯覚だろうか。
もう一度、今度はそこが光った。黄色い光がすぐに集まってオレンジになり、大きく広がった。
ああ、俺はこれを知っている――これが何か知っている。ずっと少年の中にあって彼を燃やしていたもの、少年の叫びの代弁者。
俺は、俺は――そうだ、俺の名は、XANXAS。
血を奪う運命を選んで戦った――ここはその、戦場か?


少年は手のひらの炎を見つめた。それは一層高く、赤く燃え上がった。暗い部屋を光で満たした。
彼を覆っていた鉄板が熱を帯びて、また白い水蒸気が上がってきた。
「あのクソどもが…」
掠れた声はしかし、明瞭に目的を思い出していた。彼は膝に手をついた。ゆっくりと立ち上がって、なえた足に力を入れる。
一歩を踏み出す。床にこぼれていた大量の水は、少年が歩き始めると瞬時に乾いた。彼は自らの作る道で、彼の時間で立ち戻った。部屋のドアは簡単に開き、驚くほど簡単に、亡国の王を世に放った。


彼がうずくまっていた床に七つの焼け焦げた跡が残っていた。あの光、箱の中に飲み込まれた七つの指輪の形は、もうそこにはなかった。
あるのは七つの焼け焦げた跡ばかり。七つの指輪の紋をわずかに刻んだその痕跡は、やがて舞い降りた塵で隠されてしまうだろう。













「……? ここは…?」
その部屋の中のかたすみ、柱の影で女は気がついた。ここはどこだろう、知らない場所だ…。
女はゆっくり立ち上がると、ほとんど無意識のまま部屋を出て行った。
ここはどこで、自分が誰なのか、そんなことよりも一刻も早く、この部屋から出て行きたかったからだ。
回廊を足早に歩きながら、女は早くここから出なくてはいけないと強く思っていた。
強く、強く思いながら、後ろも見ずにただ歩いていた。
とにかくここから離れることが大切、そしてもうここへ来てはいけない――になるならば。
女は自分の頭の中が、歩くたびにどんどん拭き取られてしまうような気がしていた。
何かの単語が脳裏を過ぎる。よげん、にじ、ななつの…つ、ななとさん。ななとさん?
それは数字? 7と3、それのどこが大切なの? 7つの色、3つのしるし、それがわたしたちを戒めていた呪いなの。

呪いって、なに?


女はふらふらと部屋を出ていった。回廊を歩き、庭へ出て、入ってくるときに使った秘密の通路を無意識に歩く。
その先は一つ丘を越えた先のふもと、そこに彼女は未来からたどり着いた。すべての始まりの指輪を持って、七つの一つを手に入れて。
七つの一つを持っていた王が彼女に渡した、時間を動かす最初の鍵。
彼女はもう何も知らない、彼女はもう何でもない。この時代で彼女はまた、別の――今度は誰になるのか、そんなことはわからない。
女は丘のふもとで目を閉じる、ひどく疲れていて体が動かない。そうして目を閉じる、そうして目を閉じる。自分自身に目を閉じる。
そうして彼女がもう一度目を開ければ――そこで時間は動き出す。

そこで時間は動き出し、
予言の言葉が起動する。








「私たちは虹を手にしようとする意思をもつもの、呪いの成就をはばむもの。
 予言は為されるもの、そのためにあることこそが予言の真の意味を持つのです。
 XANXAS様―――指輪を、手に入れなさいませ」

少年の野望が再び燃え上がる。
予言の一行目が果たされる、タイマーのスイッチが入る、
花の名の青年の野望が世界のどこかで目覚め、
時を得ようとする少年の夢がひそかに息づく。

さぁもう一度私の名前を呼んで、そのために私に手を伸ばして。
砂の匂いの横顔、大人の香りのスーツの胸元、きらめく金の光よ、どうか私を呼んでおくれ。
それが呼ぶ、私を呼ぶ、私たちの魂を呼ぶ、もう一度「そこから」始めろと声がする。
七つの一つを持って、『私』は遠い未来から、何度でもここに来る。
予言を果たすために。


2008.11.10
こうなるとほとんどSFですね…。
「私」はスクアーロでもいいような気がしてきた。

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